錦織圭 すべての原点は最大の恩人 盛田正明氏 引退に際し「テニスもビジネスも厳しい目標こそ成功への第一歩」とエール
【ニューヨーク28日=吉松忠弘】今季限りでの引退を表明していた錦織圭(ユニクロ)の4大大会が終わった。2007年全米の予選に出場して以来、予選と本戦を合わせて50回目の4大大会は、予選決勝敗退で幕を下ろした。ジュニアの予選と本戦を合わせれば、56回の4大大会。その土台を築いたのは、日本テニス協会の盛田正明名誉顧問だった。
99歳で、さすがに錦織最後の4大大会には来られていない。しかし、2020年に新型コロナウイルスが世界に蔓延(まんえん)するまで、4大大会に通い続け、日本テニス協会の会長としても、自身が設立した盛田正明テニス基金で支援した錦織や選手らに声援を送っていた。
ソニーの創業者の一人、盛田昭夫氏(故人)の実弟として、ソニー・アメリカ会長、ソニー副社長を歴任した。ソニー入社時に、仙台に赴任。そこで覚えたのがテニスで、その縁で、IMG創業者のマーク・マコーマックと知り合い、テニス基金を設立した際、選手の派遣先をIMGアカデミーに決めた。
錦織は同基金の4期生として、13歳で渡米した。英語もしゃべれず、内気の少年は、寮で自分の飲み物を盗まれたり、いろんな嫌がらせに遭った。しかし、盛田氏は、絶対に日本人同士を同じ部屋にしなかった。「苦労させるために行かしている。ものすごい荒波にさらされながら勝っていく環境に、選手を放り込む。それが、選手を強くしていく」。その信念は、今でも変わらない。
錦織は「黙って耐えた」(盛田氏)ことで、基金初の卒業生として、プロに転向した。盛田氏は、錦織がプロに転向すると、4大大会の会場でも、基金のジュニア選手の視察を優先した。「圭は、もう飛び立ったロケット。私は発射台。この先は、たくさんの人が支えてくれる」
5月1日に、錦織がSNSで引退を表明したとき、盛田氏はスポーツ報知に一枚の色紙を、錦織へのメッセージとして託した。そこには「テニスもビジネスも厳しい目標こそ成功への第一歩」というエールが書かれていた。その厳しさに耐えたからこそ、今があるということだった。
2014年全米決勝で、それまで5勝2敗と対戦成績でリードしていたチリッチ(クロアチア)に敗れ、準優勝に終わった。決勝に、盛田氏の姿はなかった。前年の近親者の不幸で喪に服しており、渡米をしなかった。錦織は会見で「盛田さんに優勝する姿を見せるため、今回はわざと負けました」と話した。その夢はかなわなかったが、9月30日に開幕する木下グループ・ジャパン・オープン(東京・有明)では、最後の姿を見に盛田氏が待っている。
◆盛田 正明(もりた・まさあき)1927年5月29日生まれ。99歳。東工大(現東京科学大)卒。ソニー副社長、ソニー生命保険会長などを歴任し、2000年に日本テニス協会会長に就任。2011年まで務めた。
◆盛田正明テニス・ファンド 私財を投じ2000年に創設。9月から翌年の5月までを期間として、米IMGアカデミーに選手を送り出す。奨学金は年に1回の日米往復航空券、滞在費、学費などを含み、専属コーチなどをつければ、一期間で約1000万円を超える。返済の義務はないが、世界100位以内になると、賞金の10%を5年間、基金に還元する。