
巨人・阿部慎之助捕手(40)が通算400本塁打を達成した。待望の一発が飛び出したのは、6月1日の東京ドームでの中日戦、ビヤヌエバの満塁弾で追いついた6回だった。2死から田島の初球、低めの142キロを完璧に捉えた。開幕から50試合27打席目に飛び出した今季1号で、巨人では王、長嶋に続く3人目の大台に到達した。
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巨人・阿部慎之助捕手(40)が通算400本塁打を達成した。待望の一発が飛び出したのは、6月1日の東京ドームでの中日戦、ビヤヌエバの満塁弾で追いついた6回だった。2死から田島の初球、低めの142キロを完璧に捉えた。開幕から50試合27打席目に飛び出した今季1号で、巨人では王、長嶋に続く3人目の大台に到達した。
ダイヤモンドを一周すると、ベンチを飛び出して来た原監督と抱擁。9回に追いつかれ決勝弾とはならなかったが、指揮官は「彼らしい、400号にふさわしいホームラン」とたたえた。新人時代、ベンチに座る阿部の後ろには、長嶋監督と原ヘッドコーチが仁王立ちしていた。ミスや大量失点でも犯そうものなら、鬼の形相の原ヘッドに首根っこをつかまれ、ベンチ裏へ連行されたという。「お前さんは、この試合がどういう試合か分かっているのか?」―。常勝軍団の看板を背負う重み、勝利に対する凄まじい執念を、スタート地点で徹底的に叩き込まれた。
そうして18年間、優勝と日本一だけを追いかけてきたから個人的な欲はいつも二の次だった。今年、4年ぶりに捕手復帰するも、オープン戦中盤に左足を痛めて3軍行き。先が見えないリハビリ生活にストレスがたまり、自己嫌悪で心身に異常をきたし始めた頃、原監督から電話が来た。「捕手ができなくても、ベンチにいてくれるだけで助かる。でも、お前さんも相当な覚悟で捕手に復帰したはず。だから、最後は自分で決めていい」。チームが勝つためには何がベストな選択か。念願だった捕手としての開幕は諦め、代打の切り札として支える道を選んだ。
試合後、偉業達成の喜びと興奮が落ち着くと、阿部の思考はやはりチームへと向けられた。「何より連敗が止まってホッとしています。次の目標? ビールかけをしたいな。自分が少しでも役に立てればいい」。個人記録だけを見ていれば、今頃は500本打っていたかもしれない。だが、巨人の大黒柱でいることを貫いてきたからこそ、背番号10はナインに慕われ、ファンに愛されている。
自身プロ9試合目28打席目でのプロ1号
1試合2発で50号を叩き出した
巨人捕手として2人目となる100号達成
捕手、主将として苦労の不振から脱出の一発
捕手史上7人目、巨人では初の200号を達成
1試合2発で250号達成
捕手として史上3人目の偉業となる節目弾
7点差での一発に笑顔なし
史上19人目、巨人では王、長嶋に続く3人目の大台に到達
「いつかは打てるとは思っていたけど、やっぱり1本打ててホッとしたかな」
顔の高さほどのボール球をとらえた
「それまでの野球人生でも満塁ホームランなんてなかったからよく覚えている」
延長10回に放ったプロ初のサヨナラ弾が東京ドーム1000号のメモリアルアーチ。お立ち台で「最高でーす!!」と絶叫。ここからこのフレーズが始まった。
前の打席で右脇腹に違和感も強行出場して、この一発の後に交代。
「打って、脇腹の肉離れ。痛すぎて、ホームランの代走を出してほしいくらいだった。(診察を受けた)病院で『2カ所切れてますね』と言われた」
「(相手マウンドの)花田(真人)さんが中大の先輩で大学時代はずっとバッテリーを組んでいた。思い出に残る一発」
この日の朝に最愛の祖母・喜代子さんを亡くしての一発。通夜が行われた同9日にも2ランを放ち、お立ち台で号泣した。
「俺のことを一番応援してくれた。泣かないと思ってたんだけど…」
第2子となる次女が生まれた日に一発
捕手としてプロ3人目となる40号をグランドスラムで決めた
「40本というところは一つの目標だったから、うれしかった」
右肩不安で開幕2軍、1軍登録初日に一発、ただいま弾
「チームに迷惑をかけた分、力が入った打席。自分の中で『開幕できたな』と安心した」
開幕2戦目での逆転サヨナラ弾は長嶋茂雄に並ぶ通算7本目のサヨナラアーチ
「開幕直後はいつもどこかで不安を抱きながらやるけど、開幕戦とこの試合の一発で『いける』となった」
400本打つ人は、次元が違う所で野球をやってるんだろうなと思います。単純に計算しても毎年20本を打ち続けるわけですから、僕らみたいな中距離打者では本当に考えられないこと。阿部さんの場合は多少崩されても、体のしなりで自分のスイングに持っていってしまう。柔軟性、打撃の柔らかさは、いまだにホームランを打った時はきれいだなと思う。まだまだ(岡本)和真のホームランと比べたら、阿部さんのホームランはきれい。技術が詰まっているなと感じます。
阿部さんには1年目のオフに自主トレに誘っていただきました。左膝が開く癖があった僕に「上半身だけ振り切って、下半身は回転させないで残す」打ち方を教えてくれました。今でも、その練習はやってます。19歳の時に教えてもらったから、身に付けられたもの。本当に感謝しかないです。当時、「お前が将来稼げるようになったら、後輩を自主トレに連れて行くんだよ」と言われ…今は自主トレに後輩を連れて行ってます。そして、「1軍で活躍したらこんなおいしいものを食べられるのか」と思ってもらえるかな、とプライベートでも食事に行ったりします。これも阿部さんを見習って、そうなりたいと思ったからです。
忘れられないのは、プロ2年目の2008年4月6日の阪神戦(東京ドーム)で初本塁打となるグランドスラムを打った時のこと。ホームに戻ってきた時、阿部さんが笑顔で頭をパーンとたたいてくれて。僕が活躍すると、阿部さんは喜んでくれました。その姿を見て、僕はもっと頑張らないといけないと思ったし、今でもそう思っています。(15年から)主将になりましたが、寝られずに睡眠時間が取れなくなったりしています。でも僕は「1~3番で遊撃」だから阿部さんが主将をやっていた時より、少し楽なポジションなんですよね。「主将・捕手・4番」で結果を残していたのは、すごいなと思います。
阿部さんはまだまだプレーできると純粋に思います。チームが勝つためにも、まだその力が必要です。阿部さんが引退するとなったら、ものすごく悲しく、寂しい思いをすると思うんです。だからそういう時はまだまだ来て欲しくない。1年でも長く一緒にプレーしたい。そしてもう1回、一緒に優勝したいと思います。
「プロ19年目、たくさんの人の支えがあったからこその400本塁打だと僕は思っています。これまでたくさんのチームメイトたちにも支えられてきました。このチームで再び、優勝したい。400号は通過点。1本でも多く打って、チームの勝利、そして日本一に貢献したいと思っています」-阿部慎之助