大仁田厚、日テレプロレスに渕正信と登場でテリー・ファンクさん追悼「憧れとか超越して、僕ら的には神様以上だった」

スポーツ報知
日テレプロレスの追悼コーナーでテリー・ファンクさんとの思い出を語った大仁田厚(左)と渕正信(カメラ・宮崎 亮太)

◆プロレス「プロレス中継 70年史 THE 日テレプロレス」(9日、後楽園ホール)

 日本テレビがプロレス中継70周年を記念したプロレス大会を開催した。

 同局が1954年2月19日、東京・蔵前国技館で行われた力道山、木村政彦対シャープ兄弟の一戦を生中継して始まったプロレス中継の70周年を記念した今回の大会。日テレのプロレス中継にゆかりのある全日本プロレス、プロレスリング・ノアからトップ選手が参戦。さらに、場内スクリーンで歴代の名勝負の数々をアーカイブで振り返るプロレスの「現在・過去・未来」を味わうハイブリッドなイベントとなった。

 1974年4月14日の全日・後楽園ホール大会でレスラーデビュー。今年、プロレス生活50周年を迎えた「邪道」大仁田厚(66)は昨年8月に死去した「兄貴分」テリー・ファンクさん(享年79)の追悼コーナーで81年、共に米テキサス州アマリロのテリーさんの自宅で合宿生活も送った渕正信(70)とリングへ。

 テリーさんの激闘のVTRが場内で流された後、場内に大仁田のテーマ曲「ワイルド・シング」が流される中、テリーさんのイラスト入りのTシャツにジャケット姿で登場した大仁田。

 渕が「ヒーローでも死んじゃうんだなと。(ジャイアント)馬場さんの時もそうだし、入門当時から憧れのヒーローはそばで生きていてくれると思っていたけど…。寂しさも通り越した感じです」としんみり話し出すと、大仁田は「僕は(昨年)日本人で最後にテリーと電話で話した男だと思う。ダラスに行った時に友だちがつないでくれて。テリーの家に行った時に渕さんと買ったオートモービルの古い車があったじゃないですか? テリーが25年前の車の話を『おまえら、あの車、まだ持ってるか?』って。持ってるわけねえだろって」と、最後までコンタクトを取っていたテリーさんとのエピソードを披露した。

 「その時は元気だったから、アマリロに行くのはやめたんですけど、(テリーさんの)娘2人と話して、今度、フィラデルフィアに行くので、ダラスに寄ってアマリロのお墓に行こうと思います。このTシャツもお葬式に行った人が送ってくれたんです」と大仁田。

 「ヒューストンに3人で試合に行った時もテリーは汚いビニール袋だけ。シューズとパンツとガウンが入っていた。『大丈夫?』って聞いたら『大丈夫だよ』って」と話すと、「俺の料理をテリーは喜んでいたよな」と、渕とうなづき合った。

 テリーさんの思い出の一戦を聞かれると、大仁田は77年の世界オープンタッグ選手権をあげ「最高でしたね。これこそ、プロレスだと思いました。今は規制が厳しくて、ネットの世界も血とかダメじゃないですか? だけど、テキサス魂で。テリーのすごいところはオーソドックスなプロレスもできるし、デスマッチもできる。ハードコアもやれる。オールマイティーなレスラーだった。だから、テリーを慕うレスラーが多いですよ」とした上で「僕がジュニアヘビー級を獲った時も来てくれたし、真の兄貴ですね」と続けた。

 その上で「憧れとか超越して、僕ら的には神様以上だったですね」と称賛した「邪道」。一方、渕は1976年のジャンボ鶴田さんとのNWA世界王座防衛戦を挙げた。

 最後はテリーさんに捧げる10カウントゴングが鳴らされ、「赤コーナー、第51代NWA世界ヘビー級選手権者、テキサスブロンコ、250パウンド、テリー・ファンク~」の場内アナウンスが。さらにファンクスのテーマ曲「スピニング・トーホールド」が流されると、大仁田と渕はテリーさんの遺影を胸に抱いて、じっと聞き入り、遺影を高々と掲げていた。

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