「最後の付き人」マンモス佐々木が見た突然の追放劇とその裏側…シン・大仁田厚 涙のカリスマ50年目の真実(33)

スポーツ報知
98年10月の大仁田厚追放劇に同席したマンモス佐々木は「ああいう雰囲気は味わったことがなかった」と振り返った

 1998年10月、大仁田厚が「まるでクーデターのようだった」と振り返ったFMW追放劇。

 事務所の会議室で起こった一幕の一部始終を目撃したのが、大仁田が「あいつが俺の最後の付き人」と言うマンモス佐々木(49)だった。

 東関部屋所属の大相撲力士だった佐々木は横綱・曙の付き人などもこなした後、廃業。「泥臭さに引き込まれてファンになった」という大仁田への憧れを胸に97年にFMWに入団。レスラーデビュー後、188センチ、125キロの巨体を生かしたパワーファイターとして活躍する一方、1年365日、付き人として大仁田のプライベートをアシストしていた。

 「その日」も大仁田、保坂秀樹さん(21年死去、享年49)とともに会議室に入ると、荒井昌一社長(02死去、享年36)を筆頭にフロント全員と所属レスラーたちが集まっていた。

 「大仁田さんが『なんで、おまえら集まってるの?』と聞きました。そうしたら真っ白な顔をした荒井さんが『大仁田さん、(FMWから)出て行って下さい。撤退して下さい』と、いきなり言って…。大仁田さんは一瞬、声に詰まった後、ぼそっと『出ていくなら、おまえらの方だろ』って言いました」―。

 そう振り返った佐々木は「大仁田さんは『これはちょっとおかしい』と続けて、僕と保坂さんは『こんなことはやめて下さい』と言いました。泣いたかも知れません。(団体の)内情や裏側というか、ああいう雰囲気は味わったことがなかったので」と続けた。

 「それまで荒井さんはすごく大仁田さんのことを立てていたし、2人で話しているところをいつも見ていました。付き人の僕にも『大仁田さんをよろしくね~』って感じだった。逆に言うと、付き人だから、いろいろなことを僕の耳には入れないようにしていたのかも知れませんが…」と振り返った上で「ハヤブサさんが大仁田さんの悪口を言ったことも1回もなかった。全員がすごく大仁田さんに気を使っていた。でも、大仁田さんに何かを言える人がいなかったのは事実だし、(追放劇は)それぐらいしないと、大仁田さんにものを言えなかったのではないかと、今は思います」と分析した。

 リングに上がる一選手としても淀(よど)んだ空気を敏感に感じ取っていた。

 大仁田は創始者であり、全国区の知名度を誇るビッグネームではあるものの団体内では“出戻り”の一選手に過ぎない。それゆえ、エースの座を譲り渡したハヤブサ(江崎英治、16年死去、享年47)や田中正人(現在、将斗)らにメインイベンターの座を譲り、セミファイナルでリングに上がることも多かった。

 だが、佐々木が「地方での大仁田さんの人気は絶大でした」と証言する通り、地方巡業に行けば、「大仁田は知っているけど、あとは誰?」と口にするファンまでいたのがFMWの現実。「涙のカリスマ」の存在感は大き過ぎた。

 「ハヤブサさんと大仁田さんでは全くスタイルが違うじゃないですか? でも、大仁田さんはセミでリングに上がっても、フルに“大仁田厚”をやってしまう。あの調子で(マイクパフォーマンスなど)ワーッとやられたら、その後のメインでハヤブサさんたちがレスリングをやっても…と言うのは正直ありました」と佐々木。

 次期エースと目されたハヤブサの力量については「ハヤブサさんはまさに天才レスラーで毎回、すごい試合をしていました」と認めた上で「でも、観客の声援は芸能活動もしていて、フル参戦していない大仁田さんに上を行かれてしまう。それは…と思いますよね」と、現役レスラーならではの感性でポツリ。

 「セミで観客を盛り上げてリングから降りた大仁田さんと付き人として一緒にバックヤードに戻ってくると、これから出番のメインの人たちが面白くない顔をしている。その雰囲気は当事者ではない僕も感じ取るほどでした」と明かした。

 さらに「確かに大仁田アンチのファンも生まれていた時代でした。(2度目の)復帰をしたことへの拒絶感というか。札幌の大会の時、大仁田さんにイスを投げつけたファンがいて、自分の中でショックでした。アンチも含めて結局、大仁田さんを見に来ているんですけどね」と観客の大仁田への視線の変化も感じ取っていた。

 「団体が大仁田さんたちとハヤブサさんたちと二極化していた。大仁田さんを煙たがっていたわけではなく、リスペクトは持っていたと思いますが」という雰囲気の中、やってきた「破局」の時。追放劇後、佐々木は寝泊まりすることも多かった千葉県内の大仁田の自宅マンションに戻った。

 「大仁田さんと一緒にダメになってもいいかなと」とまで思っていた佐々木に大仁田は時間を置いて、こう言った。

 「おまえはFMWに残れ」―。

 「ハヤブサさんたちにもFMWに残ってほしいと説得されました」とも明かした佐々木は大仁田追放後も団体に残った。

 決断の理由は「大仁田さんはFMWをすごく大事に思っていたから」というもの。何より憧れ以上に大きな恩義が大仁田にはあった。

 「オヤジが倒れた時にまとまったオカネを渡してくれて。『半分は俺からの見舞いだ。半分はおまえの新幹線代で、余ったらオヤジさんに渡してやれ。おまえの家族は俺の家族だから』って言ってくれた。一生、忘れないですね」―。

 付き人として密着していた男は7回の引退、復帰を繰り返してきた「邪道」に対しても独特の視点を持っている。

 「曲がった考え方かもしれないですけど、それ自体を楽しめばいいんじゃないかなと思います。次の引退はいつなのか?みたいな。大仁田さんに関しては達観してます」と笑顔で言った。

 「だって、何回、復帰を繰り返しても離れない人は離れないじゃないですか? 大仁田さんもそういう付いてきてくれる人たちを大事にしているし」と続けると「僕は師匠だと思っているんで。唯一無二の存在です。大仁田厚は大仁田厚で二代目がいない。大仁田さんの年齢であれだけのことをやっているのって、すごいじゃないですか? 地雷(爆破)だって一歩間違えれば指だって吹っ飛ぶってことを今でもやっているわけで」と熱く話した。

 「自分なりにFMWの火は消したくないと思っています」と言う通り、現在、プロレスリングFREEDOMSのリングで活躍中の佐々木の入場テーマは今でもFMWのテーマソングだ。

 「大仁田最後の付き人」は「大仁田さんのマネはできないので、これからも自分なりのプロレス、あの頃、大仁田さんが言っていた『胸いっぱいのプロレス』をやれればいいかなと思ってます」と人柄のにじみ出た優しい笑顔で言った。

 だが、佐々木のように純粋にプロレスを愛するレスラーがいる一方、89年に大仁田が創設し、98年に追放されたFMWの中には、大仁田が生み出す莫大なカネ目当てで群がる男たちもいた。

 「俺がFMWを潰したと言う人もいるけど、少しだけ反論させてくれ」―。

 真剣な表情で、そう切り出した大仁田が02年のFMW倒産を招いたとも言える水面下での暗闘を今、語っていく。(取材 構成 中村 健吾)

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 「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。

 ※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。

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