2度目の復帰も感じた冷たい視線、そしてFMW追放…シン・大仁田厚 涙のカリスマ50年目の真実(32)

スポーツ報知
血まみれの大仁田厚は常にFMWの中心にいたが、いつしか疎まれる存在にもなっていた

 2度目の引退からわずか1年7か月でのリング復帰に大きな批判を浴びながらも、一レスラーとして「故郷」FMWのリングに戻ってきた大仁田厚。

 FMW全盛期には約1億8000万円あった自身の収入の管理はすべて母・巾江(きぬえ)さんの再婚相手である義父・松原茂二さんに任せ、試合とテレビ出演に集中してきた「邪道」。

 2度目の引退と同時にFMW社長の座を創立時から二人三脚で歩んできた荒井昌一氏(02年死去、享年36)に譲り、株式の47パーセントを譲渡。自身の持ち株も53パーセントまで減らした。

 株式は保持も経営には参加せず、単なる契約選手の1人となった。

 「1試合出場するごとに30万円でした」と当時のギャラを明かすと、「その頃、芸能活動のギャラはロケとスタジオ合わせて1本100万円くらいだった。でも、俺は30万円だって団体にとって大きくないかって思った。だから、営業部長に『負担にならないか?』と聞きました」と続けた。

 同年には団体内団体「ZEN」も設立したが「それは全く理解されなかった。ZENがある程度の選手を引き受けて、ギャラを払おうと思ったけど、みんな理解しなかった」と言う大仁田。

 2度目の引退後、FMWは大仁田がジャイアント馬場さんに推薦して全日本プロレス参戦をお膳立てしたハヤブサ(江崎英治、16年死去、享年47)中心のエンターテインメント路線と金村キンタロー、田中正人(現・将斗)ら「邪道」を受け継ぐデスマッチ路線に二極化。しかし、「大仁田」というビッグネーム無しの状態での観客動員には苦しんでいた。

 だが、「涙のカリスマ」復帰後、その知名度から地方大会での動員アップは顕著に。業績も右肩上がりとなったが、メインイベンターにこだわることなく、セミファイナルのリングもこなしていた大仁田自身は、ある違和感を感じていた。

 「エンタメ路線とデスマッチ路線の衝突はありました」と正直に明かした上で「空気は悪かったです」とポツリ。

 「俺の中にセミファイナルに下がっても、レスラーの性(さが)で会場を盛り上げたいっていうのがあった。ハヤブサに負けたくない、メインイベンターに負けたくないってのがあるじゃないですか? そこがいけなかったのかなとは思います」―。

 そう続けた上で「ハヤブサたちだって、自分たちの世代でやりたいわけじゃないですか? そこに知名度のある俺が入るのは面白くないわけで。プロレスラーって、そういう変なところがあるんですよ」と話した。

 リング上の雰囲気だけではなかった。

 なぜか「大仁田が知名度を盾に法外なギャラを要求して、新生FMWの経営を圧迫している」といううわさが広まった。

 だが、「全盛期は1億8000万円のうちの半分9000万円を団体に入れていたのは俺ですよ。復帰後のギャラが1試合30万円だったのは事実だし、団体のカネなんて見たこともない。いかにも俺が高いギャラをもらっていたように言うけど、それは違う。俺へのギャラでもめたというのはウソです」と、きっぱりと否定した上で「なんでウソをつくのかなと今でも思う」と声を震わせた。

 「俺はFMWが永遠に続けばいいとだけ思っていた。単純にFMWを愛していただけ。カネの亡者とか言われるけど、そこは否定させてくれって。自己弁護になるかも知れないけど、新生FMWには一切、迷惑をかけていないと言いたい」―。

 だが、その日は突然やってきた。

 98年10月、大仁田は「試合のビデオの件で相談がしたい」という荒井社長に突然、東京・五反田のFMWの事務所に呼び出された。

 会議室に入ると、そこには荒井氏以下、主な所属レスラーたちが集まっていた。

 「何やっているんだと思いました。訳の分からないであろう若い中山(香里)まで呼んでいるわけですよ。(集まって対峙しないと)俺に殴られるとでも思ってたんじゃないですか?」―。

 そこで顔色をなくした荒井氏が「大仁田さん、(FMWから)出て行って下さい。撤退して下さい」と口にした。

 大仁田サイドについていたのは、付き人だったマンモス佐々木と保坂秀樹さん(21年死去、享年50)のみ。「佐々木と保坂が泣いて『こんなこと、やめて下さい』って言いました」と振り返った大仁田。

 「でも、よく考えたら、俺が創設して、事務所の家賃も払っているわけじゃないですか? だから、『おまえたちが出ていくべきじゃないか?』ってだけ言いました」と続けた。

 「でも、もう去るしかないのかなと思いました。冷めちゃいました。こんなもんかと」とつぶやくと、「ある種、クーデターでした。自分が作ったFMWから追い出される…。歴史は繰り返す。(アントニオ)猪木さんも新日から追い出されたし、力道山の頃から創業者が追い出される歴史がプロレス界にはある気がする。それは歴史が証明しているじゃないですか。俺にもそういう時が来たのかと、あの時は思いました」と、今だからこその冷静な視点で振り返った。

 その上で「薄々感じてはいました。昌ちゃん(荒井氏)の態度とかで。時々、思いますよ。踏んだり蹴ったりだなって」とも続けた。

 「みんな、間違えているけど、(新生FMWは)既に俺が作ったFMWという会社ではなかった。FMWという名前を使って、昌ちゃんたちが新会社を作ったんです」と改めて言うと、「俺の頃はBMGビクターと契約して何回も(試合のビデオで)ヒット賞をもらっていた。新生FMWは事実上、昌ちゃんたちが別の大手レコード会社のカネで作った会社です」と分析した邪道。

 「あくまで俺の視点からだけど」と前置きした上で「結局、俺を追い出した要因は大手レコード会社から契約金5000万円が提示されたことで、FMWの基礎はできているから、会社はビデオを売っても儲かると思ったんじゃないですか? 5000万あれば、大仁田を切ってもやれるって見込みがあったんじゃないですか? だから、強気で俺を切ったんだと思う」と推測した大仁田。

 そして、創業者への明らかなクーデターにも映る大仁田追放劇の一部始終を見つめていた「最後の付き人」マンモス佐々木が今、目の前で起こったことすべてを語る。(取材・構成 中村 健吾)

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 「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。

 ※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。

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