シューズが破れ、夢も破れそうになったレースから奮起して箱根駅伝優勝メンバーになった青学大の倉本玄太の話

スポーツ報知
出雲駅伝メンバー選考レースでスパイクシューズが破れるアクシデントに遭い、涙する倉本玄太(左)。失意のどん底から奮起して箱根駅伝優勝メンバーになった(右は伊藤雅一コーチ)

 第100回箱根駅伝(2、3日)が終わって1週間が過ぎた。改めて、青学大の完全優勝を振り返る。

 往復路を制し、10時間41分25秒の総合新記録で完全優勝。学生3大駅伝5連勝中だった駒大に真っ向勝負で勝ち、2年ぶり7度目の栄冠に輝いた。エース区間の2区で歴代4位の好記録で区間賞を獲得した黒田朝日(2年)、3区で駒大の佐藤圭汰(2年)と歴史的ハイレベルな戦い制した太田蒼生(3年)の走りは圧巻だった。全員が好走した中で、私が最も印象に残った優勝メンバーは9区の倉本玄太(4年)だった。

 倉本は最初で最後の箱根駅伝、というよりも最初で最後の学生3大駅伝出場で区間賞を獲得。見事な有終の美を飾った。だが、その約3か月前、大きな試練に見舞われていた。

 昨年9月24日、東京・町田市陸上競技場で行われた絆記録挑戦会5000メートル。学生3大駅伝開幕戦の出雲駅伝(昨年10月9日)のメンバー選考のレースだった。絶好調で迎えた倉本は念願の学生3大駅伝初出場のチャンスを目の前にしていた。

 名門の広島・世羅高のエースだった倉本は鳴り物入りで青学大に入学。同期の佐藤一世(4年)が1年時から学生3大駅伝で活躍した一方で、倉本は3年時まで一度も学生3大駅伝に出場できなかった。それでも、コツコツと努力を続け、昨年2月の熊日30キロロードレースでは1時間31分27秒で6位入賞し「新人賞」を獲得するなど着実に力をつけてきた。

 昨年の夏合宿でも、うだるような暑さに負けず、練習メニューをほぼ完璧にクリア。最後の学生駅伝シーズンに向けて心身ともに万全に仕上げていた。

 しかし、出雲駅伝選考レースで、まさかのアクシデントが発生。他の選手のスパイクによって、倉本玄太のスパイクシューズのアッパー部分が大きく破れた。

 グリップが効かず、スパイクシューズの機能を全く果たさないスパイクシューズで、倉本は最後まで走り切った。13分58秒70でゴールしたが、チーム内では17番目だった。

 倉本は破れたスパイクシューズを手に原監督に「レース途中でシューズが破れてしまいました」と原晋監督(56)に報告したが、指揮官は「それも含めてのレースだから」と、素っ気なく話した。

 原監督と倉本は、ともに広島・三原市出身で世羅高出身。「お互いの実家は3キロくらいしか離れていない」という原監督は普段、倉本を「玄ちゃん」と親しみを込めて呼んでいるが、選手選考というシビアな局面で特別扱いすることは当然、一切、ない。

 原監督への報告が終わった後、倉本は破れたスパイクシューズを手にしたまま「なんで、こんなことが起こるのでしょうか…」と泣き崩れた。伊藤雅一コーチ(28)は「これで終わりじゃない。まだ、チャンスはあるよ」と励ましたが、倉本は肩を落としたまま競技場を後にした(それでも他の選手と同じく競技場から選手寮まで7キロを走って帰った)。

 結局、倉本は出雲駅伝のメンバーから外れた。第2戦の全日本大学駅伝(昨年11月5日)でもメンバー入りできなかった。

 しかし、倉本は、ここから立ち直った。

 箱根駅伝メンバー選考の重要な参考材料となる世田谷246ハーフマラソン(昨年11月12日)で1時間3分1秒の自己ベスト記録でチーム内4番目と好走。MARCH対抗戦1万メートル(同22日)では2戦連続の自己ベスト記録となる28分19秒31でチーム内3番手のタイムをたたき出した。

 最後の最後で、箱根駅伝出場メンバーに選ばれ、復路最長区間の9区を任された。新チームが始動した昨年の春先、原監督は「倉本は復路で頼りになる選手。熊日30キロロードでしっかり走っているから、復路の9区か10区を任せられる」と期待を込めて話していた。堂々と箱根路を走る倉本に約30メートル後方の運営管理車から原監督は万感の思いを込めて熱く、温かいゲキを飛ばした。「自分で勝ち取った9区なんだよ! 自分のためにこの区間を走りきろう!」

 倉本がアクシデントに見舞われた日、私は、傷心の4年生ランナーに対し、話しかけることはできず、離れた位置からスマホのカメラで1度だけシャッターを切った。倉本が青学大駅伝チームらしい明るい笑顔を完全に取り戻した後、あのレースについて話を聞いた。

 「あの時は心が折れました。しばらく、立ち直れませんでした。出雲駅伝メンバーから外れて、箱根駅伝を走ることも諦めかけました。でも、原監督に『このままだったら、一生、駅伝を走れねーぞ!』と言われて、気持ちを切り替えました。『このまま後悔したまま終わりたくない。箱根駅伝でラストチャンスにかける』と前向きになれました。最後に頑張って良かったです」

 倉本の承諾が得られたので、スパイクが破れ、夢も破れそうになった時の写真を掲載させていただく。その一枚から倉本の絶望が伝わってくる。

 失意のどん底に沈み、泣き崩れた2023年9月24日から101日後の2024年1月3日。

 チームメート、原監督、伊藤コーチらスタッフ、家族、友人、そして、自分自身のために奮起した倉本玄太は、優勝メダルを胸に晴れやかな笑顔を見せた。(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

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