高校野球の名将・迫田穆成監督が死去 広島商で監督として73年夏の甲子園優勝、甲子園通算22勝

スポーツ報知
11年、夏の甲子園大会でベスト8を進出を決めた如水館・迫田監督

 広島商の選手、監督として夏の甲子園で優勝し、2019年から竹原(広島)を指揮していた迫田穆成(さこだ・よしあき)監督が1日午前6時頃、すい臓がんのため、広島・三原市の病院で死去した。84歳だった。

 実弟で福山(広島)の守昭監督(78)によれば、約半年前から闘病しており、本人が病名の告知を受けたのは数週間前。11月30日に再入院した際には会話も困難な状態だったという。秋季大会で指揮を執り、自身のYouTubeチャンネルで1年生大会の報告もしていたが、11月中旬以降はグラウンドに姿を見せていなかった。守昭氏は「寝たきりになってもコーチに指示をしていた。『野球ができなくなるのが残念だ』と言っていたそうです」と悔やんだ。

 広島商では外野手として1956、57年夏の甲子園に出場し、57年は主将として優勝。67年に母校の監督に就任した。達川光男(元広島)らを擁した73年センバツ準決勝では、作新学院の江川卓(元巨人)に球数を投げさせ、わずか2安打で2―1の逆転勝ち。準優勝に終わったが、同年夏の甲子園では優勝するなど、春夏通算6度聖地に導いた。93年から率いた三原工(現如水館、広島)では春夏通算8度甲子園へ。通算でも甲子園で22勝13敗1分けの成績を残した名将だった。

 悼む 達川光男氏(野球評論家)

 「甲子園の決勝でサヨナラエラーをしても許してもらえる選手になれ」―。迫田監督と初めて会った時に言われたけど、こっちは高校に入りたての15歳。「どういうことじゃろ」と思ったけど今なら分かる。野球以前に日々の練習態度や仲間との信頼関係を大事にできなきゃダメということ。

 もちろん練習は厳しかった。「真剣刃渡り」もさせられたけど、生徒の意見はちゃんと聞いてくれた。コミュニケーション能力は抜群だった。今も昔も結局はそこなんだろうね。

 「勝つ」という言葉は使わなかった。センバツの作新学院戦。「江川に勝てるとは思わない。でも負けるとも思わない」って言うんよ。「とにかく負けなければいい。何回でも再試合をやる覚悟だ。江川だって人間。そのうちヘバる」

 先月末に電話で話しましたが、竹原の選手をずっと気にしていました。相手どうこうじゃなくて自分たちが「負けない野球」。最後まで貫かれたと思います。

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