【箱根への道】和田正人から4年ぶり復活の日大後輩へ「皆の頑張りは多くの人を喜ばせています」

スポーツ報知
母校・日大の練習に訪れて激励した和田正人(カメラ・清水 武)

 第100回箱根駅伝(来年1月2、3日)で日大が4年ぶりに復活出場する。同大学時代に2度、箱根路の9区を駆けた俳優の和田正人(44)が母校を訪問。後輩ランナーに感謝と激励の気持ちを熱く伝えた。日大は予選会(10月14日)を5位通過し、節目となる90回目の箱根路に臨む。和田は温かい目で後輩の練習を見守りながら学生時代の思い出を語った。(取材・構成=竹内 達朗)

 和田は人気俳優として忙しい日々を送るが、予定より1時間も早く、東京・稲城市の練習場に到着。満面の笑みで後輩を出迎えた。

 「箱根駅伝出場、おめでとう! そして、ありがとう。高知にいる父(繁太郎さん)は涙を流しながら仏壇に向かって祖父母に『また、日大が箱根駅伝に出られるよ』と報告していました。皆の頑張りは家族や友人、周りの人たちを喜ばせていると思うけど、皆が思っている以上に多くの人を喜ばせています」

 日大は優勝(12回)、出場(90回目)ともに歴代3位の名門だが、近年は低迷。再建の切り札として全国高校駅伝で岡山・倉敷を3度の優勝に導いたOBの新(しん)雅弘監督(62)が就任した。地道な走り込みを行い、チームを強化。ハーフマラソン上位10人の合計タイムで13枠の出場権を争った予選会を5位で突破。和田は練習に励む選手を見つめながら予選会当日の思いを明かした。

 「テレビの前で応援していました。各地点で10人通過が出ますよね。途中まで日大はずっと2人なのに急に10人と表示された。多くの人がシステムエラーを疑ったのでは。それほど見事な集団走でした」

 和田は98年に高知工から日大に入学。2年時と4年時に9区を走り、区間9位、5位の結果を残した。2度の出場と同じくらいに強く胸に刻まれている思い出が欠場した3年時という。

 「3区を走る予定でしたが、前日の最終調整で呼吸がすごく苦しかった。ただ、発熱はなかったし、いま思うと、重圧だったのかな。当時、日大の監督だった西弘美さん(現・明大スカウティングマネジャー)に正直に報告しました。年間を通して安定した走りをしていたので西さんに『和田に任せた』と言ってもらえると思っていたら、あっさり『交代しよう』と。膝から崩れ落ちて号泣しました。登録メンバーから外れていた4年の先輩に『お前にはもう1年、あるぞ』と励まされたことを昨日のことのように覚えています」

 02年に卒業し、実業団のNECに進んだが、翌年、陸上部が廃部になった。

 「移籍か、社業に専念するか、の2択でした。僕は何の根拠もなく『俳優になります』と言って、競技も会社も辞めました」

 05年に俳優デビュー。13年にNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」でヒロインの幼なじみ役を好演した。

 「日大で箱根駅伝を目指した日々が今の僕をつくってくれた。一緒に過ごした先輩、同期、後輩、指導者の皆さんに感謝しています」

 昨今、日大では薬物問題に揺れるアメフト部を廃部にする方針を固めるなど暗い話題が多い。その中で明るい話題が箱根駅伝の復活出場だ。最後の優勝(74年)から50年、最後のシード(14年)から10年。節目が重なる大会に挑む後輩に和田は心からエールを送る。

 「第100回箱根駅伝を全力で走り、全力で楽しんでほしい。応援している家族、先生、友人のために。何よりも自分のために」

 ◆和田 正人(わだ・まさと)1979年8月25日、高知・土佐町生まれ。44歳。土佐町中時代はソフトボール部に所属しながら駅伝大会に出場。高知工で本格的に陸上を始める。日大が箱根駅伝で最後に優勝した74年大会で7区区間賞の野中三徳先生の指導を受け、全国高校駅伝に2度出場(2年1区36位、3年4区36位)。98年、日大入学。02年に卒業後、NEC入社。03年、廃部に伴い退社。俳優を志し、05年にデビュー。17年にタレントの吉木りさと結婚。現在は2児の父。172センチ、62キロ(学生時代は54キロ)。

 ◆日大 1921年創部。箱根駅伝には22年の第3回大会に初出場。35年からの4連覇を含め優勝12回。出雲駅伝は優勝5回、全日本大学駅伝は優勝3回。3大駅伝20勝は駒大(29勝)、日体大(21勝)に次ぎ、早大と並び3位。タスキの色は桜色。主な陸上部OBは56年メルボルン五輪男子マラソン5位の川島義明、23年ブダペスト世界陸上女子やり投げ金の北口榛花ら。

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