タレントの堺正章(77)が12月5、6日に、東京・南青山のブルーノート東京で3年連続6度目のライブ(全3公演、チケット完売)を開催する。ザ・スパイダースの盟友で七回忌となる、かまやつひろしさん(2017年死去、享年78)をしのび、代表曲「夕陽が泣いている」などを歌唱予定。喜寿を迎えた堺が、かまやつさんとの思い出や、歌手を志しながらエンターテイナーとしてマルチに活動してきた葛藤など、61年の芸能生活を振り返った。(有野 博幸)
人懐っこい笑顔にダンディーなジャケット姿。「マチャアキ」の愛称で親しまれる堺が、今年も原点である歌手としてブルーノートのステージに立つ。「スパイダースの曲をたっぷり歌います。かまやつさんの人間的、音楽的な魅力をご紹介できれば」と意気込んでいる。
スパイダースは作詞家、作曲家が曲を作ることが一般的だった1965年、かまやつさん作曲のオリジナル曲「フリフリ」でデビューした。「かまやつさんは柔軟で人の悪口を決して言わない。音楽的にも先見性があって『いつも僕は2歩早いんだよね』と言っていた。今でも慕うミュージシャンがいるということは、やっと時代がムッシュ(かまやつさんの愛称)に追い付いてきたのかな」。ミリタリールックの衣装、演奏しながら踊るステップも、かまやつさんのアイデアだ。
66年の「夕陽が泣いている」(作詞作曲・浜口庫之助)が大ヒットしてブレイクした。ビートルズなど洋楽に熱中していたメンバーには「もっとバターの味がする(洋楽っぽい)曲をやりたい」という複雑な感情があったが、「ヒットメーカーの浜口先生が、洋の要素を排除して醤油の味がする(歌謡曲に近い)新曲ができた。それが当たって僕らは市民権を得た。あれがなかったら、どうなっていたか。かまやつさんは『解散が早かっただろうな』と言っていました」
スパイダースは堺と井上順(76)のダブルボーカルだった。「『夕陽が泣いている』の頃、順さんの人気はすごかった。日劇が揺れて壊れるかと思ったくらい。主に歌っているのは僕ですよ。順さんは、ただ『恋をして~』って追っかけ(コーラス)をしているだけ。矛盾を感じて、あいつをつぶさないと、俺がダメになると焦りました(笑い)。それで笑いの道に引き込んで、2人のコンビができました」
リーダーの田辺昭知(85)=現・田辺エージェンシー社長=の意向もあり、堺と井上は歌だけでなく、軽妙なトークでも観客を魅了した。「田辺さんから『同じネタを何度も言うな』と言われて、研究しました。地獄ですよ。観客より田辺さんを満足させないといけない。彼がニコニコしていると、ホッとする。つまらないことを言うと、ドラムのスティックが飛んできますからね」。そこで培ったスキルが、司会やバラエティー番組で長く活躍する基盤となった。
スパイダース解散後も堺と井上の名コンビはバラエティー番組で活躍。「僕はお客さんの空気を感じて、盛り上げていくんですけど、順さんは自家発電のパワーでお客さんを魅了していく。力強くて前向き。今でも毎日、SNSでダジャレを発信してますよね」。定期的に食事に行く仲で「いつか、ブルーノートで一緒に歌えたらいいな」と共演を願っている。
ブレイク前には下積みも経験した。「16歳でスパイダースに入って『夕陽が泣いている』が20歳くらい。4年間は修業だった。メンバー7人でジャズ喫茶のステージに立ったら、観客が3人という屈辱も味わった。昼5回夜5回の1日10ステージということもあった」。それだけに現在の芸能界を見渡すと「修業中を見せられているような気がすることも。完成してから世に出た方がいいんじゃないですか?と思うこともあります」と、やんわり指摘した。
スパイダースは70年に解散。堺はソロ歌手として「街の灯り」「さらば恋人」などのヒット曲を世に送り出した。「うまくいっていたのに、ある時からどんどん下降線に。気づいたら、歌うのではなく、歌を紹介する役になっていた」。NHK紅白歌合戦、日本レコード大賞などビッグイベントの司会も務めたが「歌で感動を届けたいと思って、40歳近くまで、やることはやった上で反発した。抵抗というか葛藤はありました」。その悔しさをプラスのエネルギーに変えてきた。
歌手へのリスペクトを人一倍、持ち続けている。「どんどん若い歌手が出てくるんですから、羨ましな、自分もそこにいたいな、という気持ちがずっとあります。音楽のセールスが難しい時代。ジャンルも多様化していますよね。歌だけで勝負して『僕は歌しかやりません』という歌手の方は素晴らしい。拍手を送りたい」
俳優としてもドラマ「時間ですよ」「西遊記」などに出演。「新春かくし芸大会」は正月の風物詩として親しまれた。「うちの父親が喜劇俳優の堺駿二なので、系統として手先は器用です。ローリングバランスといって、輪っかの上に輪っかを乗せてバランスを取る芸があって、専門家に『30歳くらいまでしかできない芸』と言われましたが、50歳くらいでやっていました。当時のフジテレビは活気があって、持ち上げられて、おだてられて10年以上やりましたね」
趣味、志向が多様化する現代。テレビも岐路を迎えている。「コンプライアンスが厳しい時代。VTRなら後で編集でカットできるから、小さい細切れのブロックみたいな番組が増えていますよね。スケールの大きな番組は難しくなった。それは時代です。その中で工夫しないといけない」。77歳となり「後輩たちの面倒を見たい、芸能界に恩返しをしたいと思うようになりました。今後、プロデュースみたいなことも考えています」。
芸能生活61年。時代の移り変わりを見守ってきた。「父から『何事も途中で諦めるな』と言われ、それを守ってきた。つらいことがあっても、熱い思いで我慢してきた。まい進できたことは非常に幸せな人生。僕にとって芸能は最高の仕事。天職ですね。次女が堺小春という名前で(堺という芸名の)3代目を継いでくれたことも、ものすごくうれしい」。マチャアキが歩んだ“星3つ”の芸能生活は「芸能界の歴史そのもの」と言っても過言ではない。
◆堺 正章(さかい・まさあき)1946年8月6日、東京都生まれ。77歳。62年に「ザ・スパイダース」に加入し、70年に解散。ドラマ「時間ですよ」「西遊記」「ちゅらさん」、料理番組「チューボーですよ!」などに出演。「世界一受けたい授業」に出演中。趣味はクラシックカー。父は喜劇俳優の堺駿二。次女は女優の堺小春。
◆ザ・スパイダース 田辺昭知(ドラムス)、加藤充(ベース)、かまやつひろし(ギター、2017年死去)、大野克夫(スチール・ギター、オルガン)、井上堯之(ギター、18年死去)、堺正章(ボーカル)、井上順(ボーカル)の7人でデビュー。1960年代後半に流行したグループサウンズの代表的存在。代表曲に「バン・バン・バン」「あの時君は若かった」など。