【巨人】 ドラ1・西舘勇陽、冬はクロスカントリースキーに夏はマラソン…三刀流の少年時代「鍛えられた」

スポーツ報知
スキーのクロスカントリーを行う西舘勇陽(家族提供)

 巨人からドラフト1位指名を受けた中大・西舘勇陽投手(21)が15日、都内のホテルで契約金1億円、出来高5000万円、年俸1600万円で仮契約した(金額はいずれも推定)。背番号は「17」。スポーツ報知では、西舘のプロ入りまでの軌跡を全3回で連載する。

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 最速155キロを投じる強靱(きょうじん)な肉体の基礎は、冬は雪深い岩手・一戸町で育まれた。父・満弥(みつや)さん(51)が「人見知りな面はあったけど走ったり、遊んだりするのが好きな子でした」と回想する勇陽少年が、最初にのめり込んだのはクロスカントリースキーとマラソンだった。

 幼稚園の時、長男・大輝さん(25)、次男・洸希さん(23)の影響を受け、末っ子の勇陽も両競技を始めた。仕事から帰宅した父と3兄弟は、夏は長距離、冬はクロスカントリーの練習に明け暮れた。「S&Bちびっ子健康マラソン岩手大会」では小学1年から3年まで3連覇(1、2年は1500メートル、3年は2000メートル)。クロスカントリーでも「教えなくても最初から高学年の選手のようなフォームだった」と父が驚くほどのセンスを見せた。けがに強い体と速球を生み出すパワーが自然と磨かれ、勇陽は「足、広背筋、肩回りも全て鍛えられました」と、当時の日々が礎になったと実感している。

 野球人生が始まったのは小学3年時。「兄たちの影響で始めました」。クロスカントリー、マラソンも継続し、“三刀流”になった。小学校時代に指導した一戸スポーツ少年団の小森正三監督(68)は「コントロールが良い投手で、言われなくても黙々と練習する子でした」と振り返る。「もっとうまくなりたい」と、勇陽の野球熱はどんどん高まっていった。

 常に背中を追いかける存在がいたことが、上達を早める大きな要因となった。1学年上で投手として盛岡三高、筑波大を経て、今春に社会人野球の七十七銀行へと進んだ兄・洸希さんだ。「全ての競技で一番近くにいる一番の目標であり、壁でもありました」。小学校時には帰宅後、父を交えて一緒に練習。ティー打撃ではペアを組み、投球練習でもしのぎを削った。兄に追いつきたいという純粋な思いが原動力になった。2人の関係は中学でも続き、洸希さんがエース、勇陽が遊撃兼リリーフとして全国大会に出場。家族でつかみ取った最高の思い出になった。

 野球か、それ以外か。覚悟を決めたのは中学2年の冬。軟式の岩手県選抜に選ばれ、選抜チームの練習とクロスカントリーの大会が重なるようになった。クロスカントリーでも全国大会に出場する実力者だったが、「小学生の時はクロスカントリーのオリンピック選手になりたいと思っていたので、大会に出られないのは寂しかった。それでも野球を選ぶことにしました」。迷いもあったが、家族とも話し合い、野球を選んだ。ただ、当時は「自分よりもすごい選手が周りにいたので、プロ野球選手は意識してなかった」。プロを鮮明に意識するようになったのは、名門・花巻東へ進学してからだった。(宮内 孝太)

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