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レスラーデビュー50周年を前に休養宣言の大仁田厚が漏らした本音「弱い自分もいるけど、奮い立たさなきゃ」

スポーツ報知
来年迎えるレスラーデビュー50周年を前に1か月の休養に入ることを宣言した大仁田厚

 「俺は若いんですかね?」―。

 ずっと追いかけ続け、不死身と認識している65歳の電話の向こうからの問いかけに驚く自分がいた。

 2024年にプロレスラー・デビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚(65)が1か月にわたって休養することを宣言した。

 先月末、「今年は腹部大動脈瘤のステント手術をして、腕の骨折のためプレートを入れてもらう手術もした。もともと膝は人工関節だし、たまに痛む。術後の検査も含めて、2024年を突き進むためにも、約1カ月間休養します」と各マスコミにコメントを発表。

 「腹部大動脈瘤だけど、俺は健康診断で見つけてもらえた。主治医が言うには、破裂して亡くなる人が年間3000人くらいいるらしい。予防の検査は大事だと痛感したよ。健診は面倒くさがらず、ちゃんと行ってくれよな。日頃のチェックとメンテナンス。どっちも大事じゃ! 休養って言葉、使い慣れないな(笑)。引退じゃないぞ、休養だぞ。22日のトークイベントの復帰まで、休養します」と続けたとおり、今年前半のレスラー生活はいつにも増して波瀾万丈だった。

 4月に受けた健康診断で腹部大動脈瘤が見つかり、5月9日に開腹手術。手術まで相手選手にも隠して出場。黙って、腹部を電流爆破バットやギターで殴られ続けた末、術後33日目の6月11日の全日本プロレス福島大会で「おなかが割れちゃうよ!」という医師の制止を振り切り、強行復帰。ヨシ・タツとのペアで全日の至宝・アジアタッグ王座3度目の防衛を果たした。

 だが、アクシデントは続いた。

 7月1日のDDTプロレス横浜大会でのスペシャルハードコアタッグマッチでは、坂口征夫のキックを受け、左上腕部を骨折。2時間にわたる患部へのチタン埋め込み手術を受けた。

 この時も術後5日目には神奈川・鶴見青果市場でのFMWE2周年大会に患部をギブスで固定して強行出場。地獄のデスマッチと銘打った試合で雷神矢口、リッキー・フジ組を撃破。アジアタッグ王座V4を果たした。

 その後も時折痛みの走る腹部とチタンの入った左腕で9月17日、広島でのFBWファイヤープロレス、秋山準、鈴木鼓太郎組に敗れ、7か月半守ったアジアタッグ王座陥落となった翌18日のDDTプロレス名古屋大会、24日には大分でのFTO20周年記念大会出場と平然と電流爆破マッチ出場を続けてきた。

 そんな不死身の65歳の姿を見続けてきただけに今回の休養宣言には驚かされた。だから、思わず携帯電話を手にしていた。

 「今回ばかりは相当、きついですか?」―

 そう率直に聞くと「俺、両ひざが人工関節だし、チタンも両腕に入っているじゃないですか? 患部が緩んでないか、炎症を起こしてないか、定期的にメンテナンスしてるんだよ。大動脈瘤も3か月に1回のCTとかの検査が必要だしさ」と冷静な声で説明した大仁田。その上で「身体全体がすごいだるかったのは事実だよ。今回ばかりは試合もあえて入れなかった。無理が効かない体調になってきたのは事実だよ」―。ポツリと本音ものぞかせた。

 その直後だった。

 「俺は若いんですかね?」と、逆にこちらに聞いて来た大仁田。「自分の中でも年齢は忘れてやってるんだけどね。忘れないと、やってられないから」と続けた言葉に「外見も、日々やっているファイトも65歳とは思えないほど若いです」と、こちらも真剣に答えた。

 65歳と言えば、前期高齢者。その年齢で月に1回のペースでリングに、それも電流爆破デスマッチでの激闘を続けていることに素直に驚異を覚えているから、言葉は素直に口をついた。

 その上で、もう一つ聞いた。

 大仁田が9月12日に更新した自身のX(旧ツイッター)で、リング上で立ち尽くす自身の写真を貼り付け、「#明日がわからなくなる時」との表題のもと「どう生きればいいのか… しかし人生を諦められない もがきまくるしかない絶対に出口は見つかる まぁ自分の人生信じるしかない」とつづったことが気になっていた。

 1999年に亡くなったジャイアント馬場さん(享年61)に憧れ、1973年に新弟子1号として入門した全日本プロレスでレスラーデビューを飾ったのが、74年4月14日、東京・後楽園ホールでの佐藤昭雄戦だった。

 あの日のリングから49年が過ぎた。27歳での左膝蓋骨粉砕骨折での1度目の引退。資金5万円で立ち上げたFMWでの大成功と挫折。7度の引退、復帰を繰り返し「ウソつき」とまで言われる激動のレスラー人生を送ってきた男も今「明日がわからなくなる時」を迎えているのか? そう思ったから、聞いた。

 「50周年を前に何らかの迷いが出ているのですか?」―。

 この問いかけに「いつも、もがいて、もがいて生きてきたからさ。弱い自分もいるけど、奮い立たさなきゃいけない。そのまま沈んでしまったら終わり。ジ・エンドにしないために今回は休養も必要だなと感じたのさ」と真剣そのものの口調で答えた大仁田。

 「突っ張って生きるのもいいけど、弾力も持たないとさ。そのための1か月の休養だよ」と続けた言葉に納得する自分がいた。

 このベテランレスラーは50周年と言うメモリアルイヤーにもう一度、大ジャンプを決めるために今、少しだけヒザをかがめ、頭を低くして身体のメンテナンスを行っている。そう、私は思った。

 1か月の休養期間を経て、今月22日、都内で開催する今年8月に亡くなった「兄貴分」テリー・ファンクさん(享年79)を語るトークイベントで仕事復帰する大仁田。その後は12月17日、横浜で開催予定の自身が代表をつとめるFMWEの年内最終戦へ、さらには来年の50周年メモリアルイヤーに向けて突っ走っていく。

 私も1人の記者として、その命がけの闘いを追いかけ続けようと思う。なぜなら批判を浴びながら強がりも、弱音も、すべてをさらけ出して、這いつくばりながら前に進む「大仁田厚」という生き方は何より魅力的だから。(記者コラム・中村 健吾)

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