Twitter facebook Instagram YouTube

記憶喪失を乗り越えメジャーリーガーを目指す元強豪校球児 両親すら忘れた2か月後の奇跡

スポーツ報知
カブスのスカウトチーム「マリブマリーンズ」でプレーする奥村

 高校野球で夏2回、春1回の全国制覇を誇る天理(奈良)を卒業し、メジャーリーガーの夢を追って渡米した青年が9月25日、20歳になった。奥村秀斗投手。進学したモントレー・ペニンシュラ大で抑えのポジションを勝ち取ったが、シーズン序盤の今年2月、試合中に突然、記憶喪失を発症する。家族のことすら忘れてしまったが、カブスのスカウトチームに招集されていたことと、渡米前に恩師から贈られたグラブの存在だけは覚えていた。その記憶を支えに2か月後には公式戦に出場できるまでに回復し、新たな決意を胸に再出発している。

 ※ ※ ※

 NPBでの活躍を夢見て6歳時に野球を始めた。中学では高槻中央ボーイズ(大阪)でプレー。その後、目標だった天理に進学するが、いきなり挫折を味わう。全国から集った猛者とのレベル差を痛感。寮生活で環境の違いにも戸惑い、体重も球速も入学3か月で20キロ落とした。当時の天理には、21年センバツ4強のエースで、日本ハムにドラフト1位入団した同期の達孝太を筆頭に、今も強豪大学で活躍するチームメートが多数いた。

 奥村は投球フォームをオーバーハンドからサイドハンドに変え、様々な変化球に取り組んで軟投派への転換を図る。2年時の秋季大会でベンチ入り。しかし結果は残せず、またも挫折を味わう。それでもセンバツ4強に躍進したチームをアルプス席から全力で応援。同時に「変化球に磨きをかけることと、仲間とともに野球を楽しむこと」と自己分析に努めた。甲子園出場こそかなわなかったが、最後の夏もベンチ入りすることができた。

 2度目の挫折で進路も悩んだころ、中村良二監督(元近鉄、阪神)から「英語も得意だし、変則スタイルは日本よりも米国の方が面白いのでは」とアドバイスを受けた。「甲子園のマウンドに立てなかった悔しさを持ってアメリカで挑戦しよう」と決意。秋にカリフォルニア州で開催されたトライアウトに参加した。選択肢は複数あったが、監督の熱意に打たれてモントレー・ペニンシュラ大に進学。2年間、文武で実績を積み、3年目に大型奨学金をもらって米国最高峰NCAA(全米大学体育協会)のDivision1(1部)に所属する大学に編入する狙いだった。渡米前には、恩師の中村監督が紫色のZETTのグラブをプレゼントしてくれた。

 昨年8月に渡米。英会話、文化の違いに戸惑いながらも結果を残し、望んだクローザーのポジションを勝ち取った。しかしチームが開幕から低迷し、登板機会が少ないまま上がった今年2月18日のマウンドで異変が起こる。守備陣の乱れも重なって途中降板を告げられると、またしても襲われた悔しさで脳も身体もキャパオーバーしたのか、突然ベンチで倒れ、記憶を失った。

 記憶がほとんど戻らないまま入院。チームの先輩・福井章記(現キャンベルスビル大)が付き添ってくれたが、日本人だということしか分からないまま、奥村は「あなたは誰ですか? 俺はなぜ病院にいるのか? 俺は大きな病気なのか?」と何度も問いかけたという。あらゆる精密検査を受けた結果、診断はストレスが原因の一過性健忘症。福井の名前がよみがえったのは、入院3日目だった。福井は「あなたはもしかして福井さんですか?と言われた時は、ものすごくうれしかった。奥村くんのご両親にも随時状況を報告していたので、安ど感が大きく涙が止まらなかった」と振り返る。モントレーに戻り、発症5日後にルームメイト、チームメイトに再会。徐々に記憶を取り戻したが、奥村は「自分が右投げか左投げかも、野球のルールも思い出せず…。体重も10キロ落ちてしまい、苛立ちと歯がゆさで正直、野球どころではなかった」と苦悩した。

 そこからは日本の両親と毎日のように連絡を取った。記憶を呼び戻すため、LINEを通じてたくさんの思い出深い写真を送ってもらったが、この時点では日本での記憶はほとんど思い出せなかった。両親と弟は、奥村の状態について現地の仲間から情報収集しながら、タイミングを見計らって渡米。発症から10日後に再会した。奥村は「せっかく日本から来てくれて、顔を思い出せなかったらどうしようととても緊張していましたが、会うやいなやその不安は解消しました。写真では思い出せなかった両親、弟の顔、父の香水の匂い、記憶がどんどん五感でよみがえってきました」と涙の時を振り返る。

 3月下旬からは日本の親族や仲間たちの記憶も少しずつ戻り、練習に復帰。周囲にサポートされ、発症の2か月後に公式戦で復帰登板することができたが、チームも自身も長期ブランクが影響して低迷した。シーズン終了後はアマチュアリーグのサマーボールに参加。カブスが、大学生や元マイナーリーガーを集めて構成するスカウトチーム「マリブマーリンズ」の主要メンバーとして2か月間を過ごし、好成績を残した。スカウトの評価もうなぎのぼりで、進路の選択肢は大きく広がっているが、もう1年は腰を据え、目標であるDivision1の強豪大学入りを実現させるつもりだ。

 「パワーやスピードではかなわないので、打者や相手ベンチとのかけひき、あらゆるテクニックを使ってクローザーとして活躍し、今まで支えてくれた方々に恩返しをしたい。僕の特徴である変則スタイルと変化球に磨きをかけ、夢に向かってアメリカで戦い続けます」

 記憶喪失の直後、2つだけ覚えていたのは、紫色のグラブと、カブスの名前だった。極めて異例の挫折を乗り越え、20歳は夢に向かってまい進している。(玉木 宏征)

 ◆奥村 秀斗(おくむら・しゅうと)2003年9月25日、米ミシガン州生まれ、大阪・高槻市育ち。175センチ、80キロ。右投右打。

野球

個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請 報知新聞150周年
×