「夏を制する者が箱根を制する」という格言がある箱根駅伝。その箱根駅伝予選会に初挑戦する関西地区の立命大は8月、新潟・妙高高原で15泊16日の夏合宿を敢行した。第100回箱根駅伝予選会(10月14日、東京・立川)の参加資格が従来の関東地区から全国に拡大。選手ミーティングを重ねた結果、ハーフマラソン(21・0975キロ)の10人の合計タイムで争うという未経験の戦いに挑むことを決めた立命大はチーム一丸となって過酷な練習に励んでいる。
関西からの「箱根への道」は長く険しい。それでも、立命大は新春の晴れ舞台を目指し、真夏に大粒の汗を流した。
箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟は昨年6月、第100回箱根駅伝予選会の参加資格を従来の「関東学生陸上競技連盟男子登録者」から「日本学生陸上競技連合男子登録者」に広げることを発表。その後、立命大ではチームミーティングを重ね、今年3月1日に挑戦を表明した。
ハーフマラソンでチームトップの自己ベスト記録(1時間3分53秒)を持つエースの大森駿斗(3年)は「僕は箱根駅伝予選会挑戦は反対派でした」と率直に話す。その上で「ただ、チームの結論として挑戦が決まった以上、本戦出場を目指します。個人としては日本人のトップ集団に食らいついて1時間1~2分を狙います」ときっぱり話した。朝の10キロ集団走では、ひとりだけペースを上げて取り組むなど、意欲的に夏合宿に取り組んでいる。
「昨年はチーム内で新型コロナウイルスが流行したこともあり、思うような夏合宿ができませんでしたが、今年はしっかりと走り込んでいます。練習はきついですけど、チームの雰囲気はいいです。箱根駅伝予選会は厳しいことは分かっていますが、本戦出場を目指します」と主将の北辻巴樹(4年)は前向きに話す。
北辻主将が覚悟するように厳しい戦いとなることは間違いない。それほど、関東勢と関東勢以外の実力差は大きい。昨年の全日本大学駅伝(8区間の106・8キロ)では関東勢が15校出場し、15位以内を占めた。1万メートル8人の合計タイムで争われた全日本大学駅伝の地区選考会でも力の差は歴然だった。気象条件は異なるが、関東地区は1位通過の城西大が3時間57分35秒40、ぎりぎりの7位通過の国士舘大が3時間59分45秒19。一方、関西地区は1位通過の大経大が4時間4分22秒65で関東地区の17位相当、2位通過の立命大は4時間5分00秒21で関東地区の18位相当だった。しかも、関東地区選考会には昨年本大会の上位8校のシード校は参加していない。ハーフマラソン10人の合計タイムで争う箱根駅伝予選会ではさらに差が広がることが予想される。
第100回記念大会の出場校が例年より3増の23校。今年1月の第99回大会で優勝した駒大をはじめ10位以内の大学はシード権を持つ。予選会枠は例年より3増の上位13校となるが「狭き門」に変わりはない。
現時点で立命大の上位10人の自己ベスト記録の合計は11時間13分24秒。コースや気象条件は全く異なるが、単純比較すると、昨年の箱根駅伝予選会の30位相当になる。しかし、可能性がゼロというわけでもない。昨年10月に就任した田中祐介コーチ(38)は「やるからには13位以内を目指します。チャンスはあります」と話す。現時点のハーフマラソン自己ベスト上位10人には1年生は入っていない。「夏合宿で1年生は積極的に走っており、秋に大化けする可能性がありますよ」と田中コーチは予言する。
もう一つの懸案はハードな日程だ。10月9日の出雲駅伝(6区間45・1キロ)から中4日で箱根駅伝予選会を迎える。出雲駅伝に出場する関東勢はシード校だけで、予選会校は立川の戦いに集中する中、立命大は2レースに参戦する。「出雲駅伝はスピードが持ち味の選手、箱根駅伝は持久力が持ち味の選手が出場します。エース級の3人は2本とも走ることになるでしょう」と田中コーチは明かす。
そのエース級3人が、大森駿斗、山﨑皓太、中田千太郎の3年生トリオだ。大森は「中4日あれば回復できます。去年も出雲駅伝の翌週にレースに出ました」とさらりと話す。1万メートルでチームトップの28分54秒55の自己ベストを持つ山﨑も「中4日しかない、というより、中4日もある、と考えています」と前向きに話した。
予選会挑戦に慎重だった大森とは対照的に山﨑は当初から箱根駅伝予選会挑戦に意欲的だった。
「中学生の頃から箱根駅伝は憧れの舞台でした。でも、高校(京都・洛南)の時、一度も全国高校駅伝に出場できなかった。そんな選手が関東のトップ校に行っても通用しないと思って、自分のペースで取り組める立命大に進学しました。その選択は正しかったと思います」と山﨑は冷静に話す。 1万メートル28分台をマークするなど急成長した頃、ちょうど、箱根駅伝予選会に挑戦できる、という朗報が届いた。「箱根駅伝に再チャレンジしたいと強く思いました」と心情を明かした。去年まで月間の走行距離は約600キロだったが、今では約700キロに増えたという。洛南でチームメートだったは青学大の若林宏樹(3年)1年時だった98回箱根駅伝では5区3位と好走し、優勝メンバーに名を連ねた。「あの時、テレビで若林の走りを見て体が震えた。箱根駅伝5区で若林と勝負してみたいです」と目を輝かせた。
山菅善樹監督(45)は「学生は自分たちで箱根駅伝出場を決めました。学生は背伸びした挑戦も必要と思います」と温かい目で見守る。立命大は、1964年の60回大会に招待参加した。60年ぶりに箱根路を駆けるため、真夏の妙高高原をひた走った。