バスケットボール男子日本代表「ホーバス・ジャパン」が挑むW杯は25日に、史上初の日本(沖縄)、フィリピン、インドネシアの3か国共催で開幕する。日本はアジア最上位で2024年パリ五輪の出場権獲得となり、1976年モントリオール五輪以来、48年ぶりに自力で切符を狙う。スポーツ報知では「推しアカ」と題して開幕まで日本代表を紹介。第2回は河村勇輝(横浜BC)。
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幼い頃、河村はおばあちゃん子だった。両親は教員で多忙のため、朝起きたら徒歩2分の祖母の家へ。朝食を食べ、一緒に小学校へ登校して、祖母の家に帰宅。そこからバスケの練習に連れていってもらった。大好きなおばあちゃんは、現在80代。「病気で高齢でも必死に生きている祖母の姿を見ていると、どんなつらいこともやっていける」。Bリーグの年間表彰式では、祖母からの手紙に涙した。それほど、今の河村にとって大きな原動力にもなっている。
毎日、家の庭でも練習に励み、憧れる田臥勇太の秋田・能代工時代の映像を見て寝るのが日課。「衝撃を受けた」と、その背中を追いかけてきた。福岡第一高での活躍はすさまじく、“高校最強ガード”の名は、瞬く間に全国に広がった。強豪・東海大に進学するも、中退。「日本を代表するPGになりパリ五輪に出場すること。実現するために考えた結果」。進化を求め、プロ転向を決意した。
代表デビューは22年7月のW杯アジア予選。日本代表のトム・ホーバス監督との出会いでさらに進化を遂げた。代表に招集されて間もない頃、河村は試合中に訪れたチャンスで3点シュートを打たずにパスを出し、即ベンチに下げられた。「ガードはスコアしにいってこそ」と言われ続け「点を取る意識は、トムさんから学んだ」。プロ1年目の22~23年シーズンは1試合平均19・5得点、リーグ1位の同8・5アシストを記録。年間表彰式ではMVP含め、個人6冠を受賞した。
シーズン中に右太ももを負傷し、代表活動も出遅れたが、2日のニュージーランド戦で復活。W杯は河村にとって初めての主要国際大会になる。夢舞台への切符をつかむため、「責任や、覚悟を持って戦いたい」。22歳の若き司令塔が、世界を驚かせる。(小林 玲花)
◆河村 勇輝(かわむら・ゆうき)2001年5月2日、山口・柳井市出身。22歳。6歳でバスケを始める。福岡第一高3年だった20年1月にBリーグ三遠に特別指定で入団し、当時史上最年少18歳8か月23日で出場。東海大を中退して、22年3月にプロ転向、横浜BCでプレー。22~23年シーズンのBリーグで史上初のMVP&新人賞のダブル受賞。日本代表は22年7月W杯アジア予選・台湾戦でデビュー。172センチ。