箱根駅伝100回記念シンポジウムin熊本(報知新聞社後援)が16日、熊本市の市民会館シアーズホーム夢ホールで行われ、「箱根駅伝100回の歩みとテレビ中継」をテーマに、日本テレビが初めて生中継した1987年大会から番組に携わった元日本テレビの小川光明アナウンサーや東洋大で4年連続5区区間賞の柏原竜二さんらが参加した。
小川さんは初めて放送した1987年大会について「当時、私も野球やゴルフなどの実況の経験はあったけど、陸上はなくて。大会の歴史やエピソードなどをいろいろと整理して臨みました。視聴率が30%というのは、考えもつかなくて光栄でしたね」と感慨深げに語った。
会場では当時のスタートシーンも放映。柏原さんは「これ、僕が生まれる前(柏原さんは1989年生まれ)の映像ですけど、今でもカットがほとんど変わらない。携わるいろいろな人の英知が結集されているというか、その時点で完成されていたんだなと思ってすごいなと思いました。」と驚きの表情を見せた。小川さんは当時のプロデューサーについて「放送する何年も前から『やらせてほしい』とお願いしていたみたいです」といい、最難関と言われていた箱根山中の映像についても「ヘリコプターを飛ばして、そのヘリから(映像の)電波を飛ばしていた。だから、山中のスタッフは常にヘリにアンテナを向けていました」と秘話も明かした。
大会の放送をしていく上で「テレビが箱根駅伝を変えてはいけない」ということを最重要視してきたという小川さん。「駅伝はトップの選手だけの大会ではない。出場する全員にストーリーがある」と定点カメラを設置して、ランナー全員を紹介。必ず名前、出身地、出身校などが分かるように心がけた。その考えは現在の放送でも続いている。日テレの初めて放送した1987年に指揮する山梨学院大が初出場した上田誠仁・関東学連駅伝対策委員長は「当時のチームにとって一番のパワーワードだった。モチベーションも上がったし、その波に乗って初出場もできました。何時間のミーティングよりも、このインパクトは大きかったです」と懐かしそうに振り返った。