明大競走部は1日、駅伝チームの山本佑樹監督(46)の辞任の申し入れを受理し、山本豪副監督(50)が新監督に就任したことを発表した。
日大出身の山本佑樹前監督は2000年に卒業後、旭化成で活躍。06年に引退し、旭化成のコーチに就任。17年、日大時代の恩師で当時、明大を率いていた西弘美元監督(71、現スカウティングマネジャー)をサポートする役として明大コーチとなり、18年に西元監督の後を受け、監督に昇格した。旭化成時代に培った指導力でチームを強化し、20年の全日本大学駅伝では3位に躍進した。その年度(21年)の箱根駅伝では優勝争いも期待されたが、11位でシード権(10位以内)を逃した。その後、箱根駅伝で22年が14位、今年が12位と3年連続でシード権を取れなかった。さらに今年6月の全日本大学関東地区選考会では10位に終わり、7位までに与えられる本戦出場権を獲得できなかった。最近の低迷の責任を取る形で辞任を申し入れた。
第100回箱根駅伝の予選会(10月14日)まで、2か月半。大事な夏合宿が本格的に始まる前に監督交代という「劇薬」が投入されることになった。
山本佑樹前監督の後任となった山本豪新監督も日大出身。1996年に卒業後、エスビー食品で活躍。03年に現役引退後、明大でコーチ。18年から副監督を務めていた。今回の監督交代によって、西元監督、山本佑樹前監督、山本豪新監督と3代続けて日大OBが明大を率いることになった。山本豪新監督はこの日が50歳の誕生日。節目の日に人生の大きな転機を迎えた。
明大は箱根駅伝で優勝7回を誇るが、最後の優勝は74年前の1949年までさかのぼる。山本豪新監督はチームを通じたコメントで「箱根駅伝予選会まで3か月もない時期での監督交代で不安はございます」と率直に不安を明かしつつも「決意を新たに、学生たちと大きな目標に向かって取り組んでまいります」と古豪復活に向けて強い覚悟を示した。
山本豪新監督のコメントは以下の通り。
「8月1日より駅伝監督を拝命することとなりました。箱根駅伝予選会まで3か月もない時期での監督交代ということもあり不安はございますが、決意を新たに、学生たちと大きな目標に向かって取り組んでまいります。また、現役選手、社会人として活躍されている競走部OBの皆様のお力をお借りしながら、コーチとして20年間学ばせていただいた経験も活かして行けたらと考えております。今後ともよろしくお願いいたします」
◆明大競走部 1907年創部。正式名称は「陸上競技部」ではなく「競走部」。1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で東京高等師範学校(現・筑波大)、早大、慶大とともに「オリジナル4」と呼ばれる。1949年の25回大会まで7回の優勝を重ねたが、以降、優勝から遠ざかっている。1956年は部員が足りず、助っ人としてラグビー部員が6人も出場。当時の箱根駅伝公式プログラムには実質的な監督としてラグビー部の「御大」北島忠治監督の名が記されている。出雲駅伝は最高7位(2011、13年)。全日本大学駅伝は最高2位(14年)。タスキの色は紫紺。練習拠点は東京・世田谷区八幡山。
◆山本豪(やまもと・たけし)1973年8月1日、静岡県生まれ。92年に伊豆中央高から日大に入学。日大時代に日本選手権1500メートル優勝。箱根駅伝では2年7区12位、3年10区4位、4年1区7位。96年に卒業し、実業団のエスビー食品に入社。2003年に現役を引退し、同年に明大コーチに就任。18年から副監督を努めていた。23年8月から監督。
◆山本 佑樹(やまもと・ゆうき)1977年7月10日、静岡県生まれ。46歳。96年に常葉学園橘高から日大に入学。2年時に日本学生1万メートル優勝。箱根駅伝では2年2区4位、3年2区6位。2000年に卒業し、実業団の旭化成に入社。06年に引退し、旭化成のコーチに就任。17年、明大コーチ。18年4月に監督に就任した。23年7月末で辞任。