7区=21.3キロ 二宮押切坂
かつては「つなぎの区間」と言われていたが、近年は優勝を左右する重要区間となっている。12年大会区間新の東洋大・設楽悠太は後にマラソンで日本記録(2時間6分11秒)、13年から4年連続で同区出走の青学大・小椋裕介はハーフマラソンの日本記録(1時間0分0秒)を樹立した。
細かいアップダウンが続く同区の中で、目立つのが12キロ付近にある押切坂。約200メートルで10メートルほど上る。テレビ放送の中継ポイントとしても有名で、毎年多くのファンが観戦する名物スポットとなっている。
手前の押切橋を渡り、坂の入り口にある右側の細い道が旧東海道。このあたりは江戸時代、平塚と小田原のほぼ中間点にあり「間(あい)の宿」として栄えた。旧道が合流する坂の上には日本橋から18里(約72キロ)を示す一里塚の跡も残され、ランナーを見守っている