元巨人・柴田鐘吾氏、インドネシアの甲子園目指して…記者コラム

スポーツ報知
東南アジア版甲子園開催を目指す元巨人・柴田氏(左=本人提供)

 今年もこの季節が来た。聖地を目指し、全国で高校球児が白球を追っている。

 そして、もう一人“聖地”を目指す男がいる。「東南アジアで甲子園をやりたいと思っているんです」。柴田鐘吾。中学3年時に全身性炎症性疾患の厚生労働省指定の難病「ベーチェット病」を発症。闘病しながら、愛知・愛工大名電では3年時に夏の甲子園出場を果たした。明大を経て、11年の育成ドラフト3位で巨人に入団。支配下登録はかなわなかったが、14年に引退するまで3年間プレーした。

 ジャイアンツアカデミーのコーチを経て、16年に英語習得のためフィリピンに短期留学した。ホームステイ先の子供たちにお礼をかねて野球を教えると、たちまち評判に。「アカデミーのメニューを参考に子供たちや現地のコーチに教えたんです。多い時は100人も集まりました」。この成功体験から、現地でアカデミーを設立。19年冬には移住した。だが新型コロナウイルスが感染拡大。翌年3月に半年足らずで帰国を余儀なくされた。オンライン指導も実施したが限界を感じ「このままでいいのかな…」と疑問を持ち始めた。

 そんな時、ふとTVドラマ「ドラゴン桜」が目に留まった。落ちこぼれの生徒たちが、型破りな弁護士の下、様々な勉強法で東大合格を目指すストーリー。「めっちゃ面白いなと思って、何か野球に取り入れられないかと思ったんです」。共通の知人を通じ、原作者の三田紀房先生と会う機会を得て、フィリピンの活動を相談した。「アカデミーの子たちはその後はどうなるのと言われて。ドラゴン桜じゃないけど、まずは“東大”というゴールを作ってあげたほうがいいんじゃないかと。野球の東大って甲子園なんじゃないかって」

 このアイデアが柴田を突き動かした。一般社団法人「NB.ACADEMY」を設立し、三田先生に理事になってもらい、プロジェクトをスタート。開催地は東南アジアの中心で、世界4位の人口のインドネシア。来年をめどに準備を進めており、将来的にフィリピンを含めASEAN加盟10か国からの参加を目指している。近々、自身もインドネシアに移住する予定だ。「この活動は日本野球界の発展にもつながる。アジアの子供たちが日本野球から学ぶ礼儀礼節や考える力を備え、1人のスターが生まれれば、様々な経済効果が双方に生まれると思うんです」と先々まで見据える。

 全ては自身の実体験から。「僕が難病から救われたのは、甲子園という魅力的なゴールがあったから。誰もが出たい、見たい大会をアジアに輸出できたら、本場の甲子園はより多くの人の憧れになると思うんです」。聖地を目指し、今日もアジアを駆け回る。(井上 信太郎)

 ◆柴田 鐘吾(しばた・しょうご)1989年4月13日、三重県生まれ。34歳。愛工大名電、明大を経て、11年の育成ドラフト3位で巨人入団。14年限りで現役引退後は、巨人の球団職員、大手コンサルティング・アクセンチュアを経て独立。「No border株式会社」を設立し、スポーツブランディング及びコンサルティング事業を展開。175センチ、80キロ。左投左打。

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