1975年大会は出場8回目の大東大が悲願を達成した。日大OBの青葉昌幸監督率いるチームは73、74年の総合2位を超え、往路、復路ともに制する完全優勝で歓喜に酔いしれた。
初出場だった68年は優勝した日大から約1時間9分の差をつけられ、最下位(15位)。そこから7年後、頂点到達に貢献したのは元祖「山男」と呼ばれた大久保初男だ。74年大会から5区4年連続の区間賞と2度の区間新(75、77年)を達成。後のスポーツ報知でのインタビューには「5区を制するには速さより強さがなければ」と、鉄アレイを持って起伏ある20キロを走るなど、驚異の山対策を実践していたことも明かした。
76年大会は16キロ付近で左足がけいれんしながら区間2位に4分以上も差をつけるなど圧倒的な強さを誇った。大久保以降も大東大が躍進した際には5区で結果を残しており「山の大東」と異名を持つようになった。