前明石市長・泉房穂氏、12年間の市長生活で一番の実績は「政治が街を変えられることを証明」

スポーツ報知
「他力本願だから」という理由で、子どものころからてるてる坊主が大嫌いという泉房穂氏

 4月末に兵庫県明石市長を退任した泉房穂氏(59)が、ジャーナリストの鮫島浩氏との対談形式で「政治はケンカだ! 明石市長の12年」(講談社、1980円)をまとめた。12年間の市長生活で、泉氏は「政治が街を変えられることを証明したこと」を一番の実績に挙げた。(太田 和樹)

 好きな焼酎の話題になると、この日一番の笑顔を見せた。「『吾唯足知(われただたるをしる)』が大好きやねん!」。「吾唯足知」は鹿児島県西部のいちき串木野市にある濱田酒造が造る芋焼酎。「足りないものを嘆いてもしかたない。あるものでやりくりする中から幸せが生まれる」という意味の禅の言葉だ。

 「今の自分の現状を認識してその中でできることをやるっていう趣旨。これは諦めるということではなく、自分の可能性を最大限に生かすというイメージかな」。12年間の市長生活は、まさに「吾唯足知」を地でいくものだった。

 昨年10月、市議会で泉氏に対する問責決議案が賛成多数で可決された。法的な拘束力はないものの、提出前に市議に対し「賛成したら許さん」「(選挙で)落としてしまうぞ」などと脅迫まがいの発言した責任をとり、任期満了で退任することを発表。4月末に職を辞した。

 「12年間やりきったという充実感がある。いつ災害があるか分からないという緊張感のある生活をしていましたから。最終責任者としてほっとしたという気持ちもあります」

 10歳のころ、4歳下の障害のある弟の影響で「明石市長になって明石を変えたい」という目標を持った。「明石を明るい街、優しい街にしたかった。明石を変えるためには市長になる必要があったんです」

 2011年に市長に当選すると、無駄だと判断した公共事業はバッサリ切り捨てるなど改革に着手。そのやり方に反発する勢力からは殺害予告や脅迫文が自宅に届くこともあった。

 「お金はあるんだけど、どこかで使っている。どこかでメスを入れないとお金は生まれない。誰かに嫌われないとしょうがないわな。嫌われようが、憎まれようが、脅迫されようが、ひるむことなくやってきた」

 浮かせた財源で独自のこども医療無償化など、5つの無料化をはじめとする「こども政策」などに取り組んだ。10年から21年までの市のこども予算を約125億円から約297億円と約2・38倍に増やした結果、全国の中核市の中で人口増加率は1位。税収は増え、自治体の貯蓄といわれる財政調整基金は約70億円から約120億円になった。

 ただ、泉氏は一番の実績は「政治が街を変えられることを証明したこと」と話す。「市民がリーダーを選び、リーダーたるものが本気になれば街は変わった。12年で一気に違う街になりました。子どもがひっくり返ると皆で起こすように駆け寄る街になったことや、お年を召した方が重い荷物を持っていると『荷物持ちましょうか』と皆が声をかけるようになった。優しくなったんです」

 一貫して市民目線の政治に取り組んだ。

 「誰のために政治やるかでしょ。市民のためにやるんだから市民の理解、共感が得られない政治はノー。私は市民が自分の暮らす街に誇りを持てる街にしたい。市民はもっと暮らしやすい街にしたいっていうことを選んだんでしょうね。そこはクサいけど、市民を信じて市民だけの選挙をやり続けてきたからね」

 任期満了に伴い行われた市長選では、自らが後継指名した元明石市議の丸谷聡子氏が当選。“泉イズム”を継承する政治家を誕生させた。「0から1を作るか、あるものを壊すかしかできない」という泉氏は今後、子ども政治塾を開くなど、後進の育成に力をいれるという。

 「政治というものは汚いものでも悪いものでもなく、誇りある仕事。胸を張れる仕事なんだよ。政治家を志して日本の未来を作ってほしいということを子ども政治塾を開催して、今後の日本のため一定程度役割を果たしたい。私の場合、10歳で政治家を志したので50年前なんです。10歳の時の自分を思い出すと、やっぱり10歳の今の子どもたちを応援したいという思いは強いです」

 ◆泉 房穂(いずみ・ふさほ)1963年8月19日、兵庫・明石市生まれ。59歳。東大卒。NHK、テレビ朝日でディレクターを務めた後、故・石井紘基衆院議員の秘書を経て、2003年に民主党から衆院選に出馬し初当選。11年に明石市長に就任。今年4月に任期満了で退任した。

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