プロ野球ビジネスの世界で、荒木重雄さんの名を知らない人はいないだろう。ロッテの事業本部長時代には球団経営改革を進め、アイデアマンとして観客増やグッズの収益増を実現。パ・リーグマーケティング(PLM)や侍ジャパン事業の立ち上げにも尽力したスポーツビジネス界の第一人者だ。その荒木さんが、大阪桐蔭時代に1学年下の中田翔(現巨人)とクリーンナップを形成した謝敷正吾さんとタッグを組み、群馬県桐生市に中学硬式チーム「桐生南ポニー」を起ち上げた。なぜ地方からの挑戦を始めたのか。前後編の2回に分けてレポートする。(加藤 弘士)
◇地方発のスポーツ×ITビジネスを起ち上げた理由
プロ野球の球団経営を「稼げるビジネス」に変えたレジェンドは今、桐生にいた。
荒木さんは日本IBMを皮切りにドイツテレコムグループの日本法人CEOを経て、2005年に千葉ロッテの執行役員事業本部長へと転職した。外資系企業のノウハウを球界に導入した上で、ファンサービスの意識を拡充し、就任3年間で売り上げを約4倍に伸ばしたことでも知られる。
2009年に独立し、「スポーツマーケティングラボラトリー」を発足させた荒木さんは、18年にスマホ用スポーツ日程情報アプリの運営を行う「スポカレ」を設立。そして22年1月、故郷の桐生にスポーツマーケティング会社「ノッティングヒル」を創設した。なぜ地方発のスポーツ×ITビジネスを展開しようと考えたのか。
「元々の発想はコロナがきっかけなんですよ。本社は東京にあるんですが、事業の一つが大学生を活用したメディアのオペレーションセンターでして。競技団体のSNSや映像の編集、配信を行っていて、大学生の労力が必要だったんです」
「ところが大学生がコロナ禍で実家に帰ってしまった。リモートで可能な仕事も増える一方で、大学生の採用がしづらくなってきた。生まれ故郷の桐生には群馬大の理工学部があって、約2500人の学生がいる。彼ら彼女らはアルバイトがなくて困っているという。ここでのアルバイトは居酒屋さんや家庭教師がメインで、ともにコロナで難しくなった。学生はいるけど、アルバイトの求人がない状態だったんです。理工学部の学生はパソコンのスキルも十分あるので、東京でやってきた仕事の一部を、桐生に持ってきたんです」
◇『地域とコミュニティー』と『ナショナローカル』
これまで外資系企業などで奮闘してきた荒木さんだが、地域でのスポーツビジネスに魅力を感じた理由は何だろうか。
「『これからは地域だ』と、元々思っていました。コロナによって場所を選ばずに仕事ができるようになり、それが加速された。必ずしも東京でなくても良くなった。キーワードは『地域とコミュニティー』。昔はモノだったものから、今は全てがコミュニティーに変わってきていると感じます。人と人とのつながりとか、それをどうSNSで拡散していくかとか…。ぶっちゃけ今、流行っているサービス…スマホゲームにウーバー、ニュースピックスもスポティファイも、みんなコミュニティービジネス。そう考えると、地域はコミュニティーがめちゃくちゃ作りやすい。そしてスポーツは、『つなぐ力』と『ひろげる力』が強いんです。せっかく桐生に来たので、スポーツ×地域創生のモデルを作りたいと思ったんです」
原動力の根底には、全国か地域かの二者択一ではない、新たな概念がある。
「もう一つのキーワードは『ナショナローカル』です。ナショナルでもローカルでもなく、がっちゃんこして『ナショナローカル』。ナショナルといっても元々はローカルの集合体なわけで、ローカルなくしてナショナルはないんですよ。PLMを作った時も、そうだったんです」
「千葉ロッテマリーンズに勤務している頃、ナショナルクライアントの大企業にスポンサードをお願いに行くと、『広告なら東京ドームに出しておけばいいじゃん』と言われることがありました。スタジアムを起点としたビジネスはいいけれど、地域に密着すればするほど、ナショナルに行かなくなる。そうするとなかなか大きいお金が集まってこないんです。でもよくよく考えたら、パ・リーグって北海道、東北、関東、関西、九州って日本列島をきれいに縦断しているんですよね。それが全部地域に密着している。その点と点を結べば、ナショナルクライアントにセールスができるんです。1チームではできなくても、集まることによってより大きなビジネスができる。そしてその根幹は、めちゃくちゃローカライズしている。ローカライズすればするほど、ナショナルにも行けるし、さらにはグローバルにも行けるという考え方なんです」
◇母校の桐生南高校がなくなる…跡地利用で地元に活力を
ローカルをしっかりと結びつければ、その化学反応は強力になる。おのおののローカルが輝けば、おのずと日本も元気を取り戻す。荒木さんは故郷への思いを強めていった。
「スポーツでの地域創生といえば、プロ野球やJリーグのフランチャイズなどでの盛り上がりが各地でありますが、桐生にはプロチームがない。でも桐生は昔から野球が盛んな都市で、『球都』を掲げる全国4都市の中の一つなんです。野球を中心とした街づくりを桐生市に提案したところ、『球都桐生プロジェクト』が正式に始まることになりました。そんな中で、母校の桐生南高校が21年3月をもってなくなるという話を聞いたんです」
桐生南高校は各界で活躍するOB・OGを有する。総合不動産企業・オープンハウスグループの荒井正昭社長もその一人だ。荒井社長は荒木さんと同じ野球部で、2学年下の後輩だった。そのオープンハウスグループは、二人の母校である桐生南高校の跡地を利用して、地元に活力を生み出す事業を進めていた。
一方、荒木さんは、自身が代表理事となって、スポーツでの地域創生のために、一般社団法人桐生南スポーツアカデミーを起ち上げた。そんな動きの中、オープンハウスグループから、一人の男が桐生へと送り込まれた。
大阪桐蔭で2度の甲子園出場歴を誇り、明大時代には神宮を沸かせた強打者・謝敷正吾さんだった。
【後編に続く】