【Jリーグ30周年】川淵三郎氏にインタビュー「MVPはカズ」「大谷翔平のようなスターが出てほしい」

インタビューに答える川淵三郎氏
インタビューに答える川淵三郎氏

 Jリーグ初代チェアマンを務め、1993年の開幕戦・V川崎(現東京V)―横浜Mで開会宣言した川淵三郎氏(86)=日本サッカー協会相談役=が9日、J30周年を迎える15日を前にスポーツ報知の取材に応じた。クラブ数は当時の10→60と広がったが「日本全国に100クラブほしい」と持論。30年間のMVPにはFW三浦知良(56)=オリベイレンセ=を挙げ、「サッカー界に大谷翔平のようなスーパースターが出てほしい」と熱望した。(取材・構成=星野 浩司)

 30年前の5月15日、5万9626人が集まった国立競技場。「Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します」。川淵氏の開会宣言でJリーグは幕を開けた。

 「緊張はなかったけど、僕だけにスポットライトが当たって、少し声が震えてたね。チアホーンがやたらと鳴っていて、本当に歴史的な日が始まったなと。TUBEの前田亘輝さんがアカペラで歌った『君が代』は素晴らしかった」

 同日の開幕戦はV川崎―横浜Mの1試合のみ。他クラブから反対する声もあったが、川淵氏が決断したという。

 「1つのオープニングゲームを日本の皆さんに見てもらい、その後(翌16日)に残りの8クラブが試合をすれば、2回注目を浴びる。ヴェルディとマリノス以外のクラブから反対したけど、僕は認めなかった。イベントをやるプロの立場から言えば常識なんだよね。大成功だったと思う」

 多くの壁を乗り越え、プロ化に成功した。

 「絶対に無理だと言われていたし、僕もそう思っていた。1万5000人収容のナイター照明が付いた競技場も、ホームタウンもなかったし、人生安泰かどうかも分からないプロ契約も当時の選手はしたくなかった。思い切って高いハードルを越えない限りは成功しないというのが合言葉だった。結局はバブルの頂点だったことが味方した。必要なのは、失敗したら自分が辞めればいいという覚悟だな。他のスポーツはその覚悟が足りないと思う」

30年前のJリーグ開幕を振り返り、色紙に「覚悟」と記した川淵三郎氏
30年前のJリーグ開幕を振り返り、色紙に「覚悟」と記した川淵三郎氏

 経営面で苦しみ、クラブに消滅危機が押し寄せた時期もあった。

 「(98~99年の横浜)マリノスとフリューゲルスの合併問題は大事件だったけど、97年頃に消滅するクラブがいくつか出る可能性があった。選手に高給を与えすぎた中でチームが混乱した。年俸が(営業費用の)は3割を占めたものが、6割、7割になっても据え置くとなると経営がうまくいくわけない。連鎖反応で複数のクラブが消滅するということもあり得た。そこを乗り切ったことでチーム数がどんどん増えた」

 昨今の入場者数や年齢層にも課題を感じている。

 「先日、浦和レッズがACLで優勝して30周年を祝福してくれてうれしかったし、サポーターの力を再認識した。ただ、新しいファン層が増えてないし、平均年齢も高い。一昨年にプロ野球のヤクルト―オリックス戦を見に行ったら、ネット裏に若い女性が多くいて驚いた。昔は武田(修宏)やカズ(三浦)の練習を見に行った女性たちが(選手を追って)動いてた。そういう“浮動票”がプロでは必要。プロとして価値の全ては観客動員数で決まると思う。J1で1試合平均2万5000人(22年は1万4328人)入るようなリーグになってほしい」

 30年間で10→60クラブに増えた。

 「当初は全く先が読めなかったけど、Jリーグの理念と地域の人たちの思いが一致してここまで来た。僕は当時から『各都道府県にJクラブが2つ、100クラブほしい』と言った。初めから予言してたから、あと40くらい。着実に100クラブにいく。県に2つは成功しないと言われたけど、今の神奈川県にいくつある? 東京都は人口が多いから、各区に1個のクラブとスタジアムがあっていい。渋谷区が作ったら、世田谷区でも…とか、そういう広がりになってほしいし、将来そうなると思うよ」

 30年間のMVPには、56歳で現役を続けるカズを選んだ。

 「彼しかいないね。すごいとしか言いようがない。これだけ長く日本を背負って立ってきたカズの偉大さは率先垂範(そっせんすいはん・人の先に立ち、模範となる)。どれだけ練習がきつくても耐えて、56歳でやれるのは大したもんだよ」

 一方で、現在はカズのようなスター選手が生まれていないことを憂いている。

 「大谷翔平のようなスターがサッカー界にも出てほしい。模範となるような存在感の選手だね。(フランス代表FW)エムバペのようなバリバリの選手に来てもらうのは金銭的にも、道はまだ遠い。自前でそのスーパースターを作るということが一番大事だよ」

 W杯で世界一を目指す日本代表の選手を輩出する土台となるJリーグ。若い選手が海外移籍する流れも加速している。

 「ベースは地域社会の中でクラブが選手を育てている。地域で基本プレーをしっかり身につけることが将来の成長につながる。一方で、海外移籍はかなり増えた。世界中のスカウトの目が日本に向いていて、価値が上がっている。W杯で好成績をあげるために国内だけで育つわけがない。日本から欧州に行き、活躍してまた帰ってくる。この循環がうまくいけば世界に誇れるJリーグになる」

 ◆川淵 三郎(かわぶち・さぶろう)1936年12月13日、大阪・高石市生まれ。86歳。三国丘高―早大商学部―古河電工と進み、日本代表FWとして国際Aマッチ26試合8得点。64年東京五輪で8強入りに貢献。引退後、80年に日本代表監督を務めた。91年、Jリーグ初代チェアマンに就任。94年日本サッカー協会副会長、2002年に同会長(キャプテン)就任。日本バスケットボール協会会長、日本トップリーグ連携機構会長、東京五輪・パラリンピック選手村村長などを歴任。

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