Jリーグ元年からプレーする唯一の現役選手となった元日本代表FW三浦知良(56)=オリベイレンセ=が15日に迎える30周年を前に、ポルトガルでスポーツ報知の取材に応じ、思いを語った。開幕した1993年、V川崎(現東京V)の年間優勝に貢献したMVPは、ブームだった当時は希薄だった「地域貢献」への意識が、30年を経て高まったと指摘した。(取材・構成=豊福 晋、田中 孝憲)
30年前、Jリーグはひとつの「ファッション」だった。ファンは顔にペインティングをしてスタジアムに行き、チアホーンを吹く。選手はアイドルのような存在だった。
「30年前は、どちらかというとブーム的なところがあった。Jリーグが掲げた地域密着で社会貢献していくというのは、現実的には遠かったと思う」
チーム数は開幕時の10チームから、現在はJ1からJ3まで合計すると60チーム。6倍に増えた。
「30年前とは、地域との関わりも変わっている。今は、クラブがいろんな地域にある中で、なくてはならない存在になっているんじゃないかな」
カズ自身も神戸や横浜FCに在籍時、地元の小学校訪問を何度も行った。教室で「カズダンス」を踊ったこともある。
「いろんな地域にJクラブがあり、色を出しながらやっている。みんながみんなうまくいっているわけじゃないけど、社会に貢献していく意識を持ちながらやっていて、30年前とは全然違うなと。サッカーだけでも違うけど、社会とのつながり、社会に貢献していくという選手の意識も膨らんできている」
30年前、W杯出場はまだ夢だった。それが今は「ベスト8」を口にする。これもJリーグの成果だ。
「まだまだ、欧州や南米と比べたらクラブの歴史とリーグの歴史は短いと思うけれど、すごく中身の濃い30年。すごい進化、進歩した30年だった。なかなかここまで成長した国はないと思うくらい。それが日本代表の強さにつながった」
6日のアジア・チャンピオンズリーグ優勝を支えたサポーターの文化も、30年の進化があったと感じている。
「30年前は、あの雰囲気はまだなかった。欧州に負けない雰囲気をつくっていたことに、こちらのみんなもびっくりしている」
自身はJリーグから海外でプレーする先駆者だった。94年、イタリア・ジェノアに期限付き移籍した。アジア人として初めて、セリエAでプレーした。
「その後にヒデ(中田英寿)が大きな活躍をイタリアでしてくれた。それが今につながっている」
そこから、Jリーグで育った多くの選手たちが、海外に飛び出した。
「(中田ら)輝かしい先輩たちがたくさんいて、今につながっている。今はさらにもっと上をみんなが目指している。欧州チャンピオンズリーグ(CL)は夢というか、みんなの現実。そこにいかないとダメだという形で挑戦している」
次の30年で期待するのは、世界が知っているJリーグクラブの誕生だ。
「南米でも欧州でも『日本と言えばここ』というクラブ名を、言えないと思う。世界の人が目指すクラブが誕生してほしい」
ポルトガルでは、あと3試合でシーズンが終了する。今後はどうするのか。
「サッカーはずっとプレーしていたい。Jリーグでやりたいという気持ちもあるし、ブラジルでまたやってみたい思いもある。先のことより来週の試合があるので、そのメンバーに入るために、また頑張ります」