◆第95回センバツ高校野球大会最終日 ▽決勝 山梨学院7―3報徳学園(1日・甲子園)
山梨学院が報徳学園(兵庫)を7―3で破り、山梨県勢として甲子園初優勝に輝いた。2点を追う5回、打者一巡の猛攻で一挙7点のビッグイニング。鮮やかに逆転勝ちした。6試合連続で先発したエース・林謙吾(3年)がセンバツ史上最多の6勝を挙げ、3失点完投。今大会で696球を投げ抜いた。吉田洸二監督(53)は清峰(長崎)での09年春に続くセンバツ制覇。異なる県で異なる2校を率いての甲子園Vは、名将・原貢さんに次いで史上2人目の快挙となった。
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スカイブルーのアンダーシャツを着たナインが、マウンドへ向かって疾走した。人さし指を突き出し、山梨学院のナインは激しく体をぶつけ合った。山梨県勢、甲子園初制覇。地鳴りのような歓声が響く中、ベンチの吉田監督は教え子たちを優しいまなざしで見つめた。
「甲子園が選手を成長させ、6試合目で力を出し切った試合ができました」。県勢初の決勝。「9割の人が『報徳有利』。監督の私もそう思っている。失うものはない」。地元・報徳へ声援が飛ぶ完全アウェーを楽しんだ。V候補・大阪桐蔭ものみ込んだ報徳の魔曲「アゲアゲホイホイ」について試合前、エースの林に「あれはお前の応援歌だ」と伝えた。同曲が始まると林はベンチの指揮官を見て笑い、リズムを取った。これは行けると確信した。
侵掠(しんりゃく)すること火の如く―。2点を追う5回だ。走者が出ると得意の機動力を発揮させた。リードを多めに取り、相手バッテリーをかく乱。「投手の気を引き、体の開きを早くさせることで制球ミスを誘発しました」。6安打7点のビッグイニングで試合をひっくり返した。
「神風が吹いた。優勝しろよと甲子園の神様が言っておられるのかなって」
県立校・清峰の監督として09年春に長崎勢甲子園初V。13年から大学時代を過ごした“第二の故郷”山梨に戦場を移した。ついたあだ名は「山梨の虎、甲子園の子猫ちゃん」。県内では強いが、全国で勝てなかった。「負けるなら出るなよ」「迷惑だ」。罵詈(ばり)雑言は嫌でも耳に入った。
昨夏の甲子園。天理に初戦敗退後、帰ってビデオを見た。選手のミスに表情を曇らせる自分が映っていた。「生徒にとって憧れの場で、終着駅なのに…。自分の勝ちたい気持ちが重くしていた」。県立校時代の楽しむ気持ちを思いだした。「試合は発表の場。私は応援団長」。だから笑顔に徹した。笑う門には福が来た。
異なる2校での甲子園Vに「生きている方は僕だけ。申し訳ないです」と頭を下げた。一昨年の同校による高校サッカー選手権V、昨年のJ2甲府天皇杯優勝に続き、山梨の代表として頂点をつかんだ。武田信玄もできなかった天下統一。「今回の甲子園では子猫ではなく、猫ぐらいにはなれたかな」。紫紺の大旗が甲斐路をたどり、富士山の下ではためく。
(加藤 弘士)
【記録メモ】
◆初決勝でV 初の決勝で優勝したのは、16年の智弁学園以来。都道府県では99年の沖縄尚学以来。
◆決勝での1イニング7得点以上 山梨学院は決勝の5回に7得点。06年横浜(対清峰)の9得点(6回)、13年浦和学院(対済美)の8得点(8回)と7得点(5回)に次いで4度目。
◆優勝投手の4完投 山梨学院・林謙吾は4完投でV。16年の智弁学園・村上頌樹が全5試合完投で優勝して以来。
◆異なる2校で優勝 山梨学院・吉田洸二監督は09年に清峰(長崎)を指揮して以来のV。原貢(65年夏の三池工=福岡、70年夏の東海大相模=神奈川)、木内幸男(84年夏の取手二、01年春と03年夏の常総学院=ともに茨城)、上甲正典(88年春の宇和島東、04年春の済美=ともに愛媛)に次いで4人目。異なる県での優勝は原貢と2人目。
堀内恒夫氏(スポーツ報知評論家、甲府商出身)「オレが元気なうちに山梨が甲子園で日本一になるなんて思ってもいなかった。うれしいよ。しかも作新学院に広陵、報徳と優勝経験のある高校を破ってだからね。大したもんだ。山梨は学校数も少ないし、全国でなかなか勝てなかった。そんな中、山梨学院が野球だけじゃなく、スポーツに力を入れてきて、やっと勝てたんだ。とにかく林くんがよく投げたよね。コントロールがいいし、無駄な四球を出さないのはやっぱり鉄則。甲府のメイン通りでパレードでもやろうよ(笑い)」
巨人女子チーム・松本哲也コーチ(02年度卒)「甲子園の舞台で山梨学院の選手たちが躍動しているのをとてもうれしく思います。山梨県初の快挙を成し遂げ、これからのますますの母校の発展と、山梨県の野球の発展を心から願っております。また夏の甲子園に向けて頑張ってください」
◆名伯楽・原貢 原貢さんは1936年3月30日、佐賀県生まれ。鳥栖工と東洋高圧大牟田で内野手。三池工の監督として65年夏の甲子園で優勝に導き、工業高初の甲子園制覇。不況にあえぐ炭鉱の町に歓喜をもたらした。66年から東海大相模監督。息子・辰徳(現巨人監督)の東海大進学と同時に東海大監督に転じ、その後、再度、東海大相模、東海大の監督を歴任。甲子園出場9度で通算成績は17勝7敗(優勝2度)。14年5月29日に78歳で死去した。
◆吉田 洸二(よしだ・こうじ)1969年5月6日、長崎・佐世保市生まれ。53歳。佐世保商、山梨学院大では外野手。93年から佐世保商、96年から平戸で監督。01年に北松南(現・清峰)の監督に就任、甲子園通算5度出場。09年春、長崎県勢初の甲子園V。13年4月、山梨学院大付(現山梨学院)監督就任。家族は夫人と1男2女。