テレビを見ながら、またはインスタグラムなど著名人のSNSをもとに記事を書く、いわゆる“こたつ記事の女王”と言ってもいい女性アナウンサーが一旦、テレビの最前線から去る。
元テレビ東京でフリーの大橋未歩アナ(44)が23日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・午後5時)に最後の生出演。2019年4月から4年間に渡って月曜から木曜のアシスタントを務めてきた同番組から“卒業”した。
夫で元テレ東プロデューサーの上出遼平氏(34)の米ニューヨークに移住しての仕事に帯同するため、レギュラー番組全てから降板。休業はしないが、テレビ画面からは一旦、遠ざかる形となる。
同番組では20日からの週を「さよなら大橋さんウィーク」と題し、4日間にわたって特集を展開。20日の放送ではシースルーや銀色の服など、その奇抜さで話題となった過去の出演衣装を視聴者にプレゼント。21日の放送ではコメンテーターの北斗晶(55)が「いやだ~。泣かないようにするよ、私。頑張る」と別れを惜しむ場面もあった。
そして、最終出演。今回も個性的なブルーのストライプの衣装に身をつつんで登場した大橋アナは冒頭、「実感がまだないんだけど…。平常心でいられると思ったんですけど、ドキドキしちゃって。今日、靴を履き替えてくるの忘れちゃいました」と吐露し、共演の作家・岩井志麻子さん(58)は「噓と言って~」と別れを惜しんだ。
番組中盤に駆けつけた番組準レギュラーのSMのイヴ女王にSM初心者用のムチをプレゼントされ、「うれしい。(夫を)きちんと調教しないと!」と笑顔。マネキン相手に「おイタしてんじゃねえよ!」「家に私がいるだろうが!」「ニューヨークで羽伸ばしてんじゃねえよ!」と“プライベートむき出し”でムチを振るう場面もあった。
さらにサプライズ登場した前MCのふかわりょう(48)に「4年間、朗らかな笑いを届けていただき、本当に貴重な存在だったと思います」と声をかけられると、涙を浮かべ、「ふかわさんが去られてから2年間、心が折れそうになるたびに、ふかわさんに連絡しようと思ってました。最後にお会いできて、うれしかったです」と隣で聞いていた現在のMC・垣花正(51)が悲しげな表情となる本音も漏らした。
放送の最後に天気予報を読み上げた後、「ちょっと書いてきました」と手紙を取り出すと、「応援して下さった皆様へ。4年前の冬、(出演)オファーに難色を示す事務所に『どうしても出たい』と言った私。1か月後に夢がかない、ここに集う人たちは身を削ってでも誰かを喜ばせたいというサービス精神に満ちあふれていました。そんなウソがつけない不器用な人たちのお仲間に加えていただき、本当にうれしかったです」と、まず感謝。
「この春、私は『5時夢』を卒業して人種の坩堝(るつぼ)を目指します。少し不安ですが、半蔵門の坩堝に負ける場所はないと思っているので、自信を持って何があっても明るく生きていきたいと思っています。そして、力をつけたらいつか、まだ、空きがあったら、月曜の黒船特派員(外国人アシスタント)として戻ってきたいと思います」と話すと、「皆さん、4年間、皆さん、ありがとうございました」と涙顔のまま頭を下げ、フィナーレを迎えた。
「スポーツ報知」WEBもこの人には本当にお世話になった。「5時に夢中!」レギュラー出演前の2018年2月以降に「大橋未歩」が見出しとなったネット記事の数は355本。「5時に夢中!」関連では、まだ前任の上田まりえアナ(36)がアシスタントだった時にゲスト出演した際の1本から始まり、19年3月6日の「大橋アナ、5時夢新アシスタント就任」始め数多くの“こたつ記事”が量産されてきた。
執筆の中心となった私は昨年6月末には東京・半蔵門のTOKYO MXまで押しかけ、生放送終了直後の大橋アナを1時間にわたってインタビュー。「こたつ記事」への率直な思いを聞き、書き手としての、こちらの言い分もぶつける機会があった。
「フリーになった以上はメディア露出も大事なので、記事にしていただけるのはありがたいと思うところもあるんですよ。番宣にもなるし。その反面、やっぱり、自分の発言に責任を持ちたいから生放送に積極的に出ている部分もあるんです。編集できないじゃないですか、生放送って」と真剣な表情で私に訴えた上で「だから、自分の発言がニュアンスを排除されて記事になったりとか、切り取られて記事になっているのを見たりすると、すごく複雑な気持ちになったりとか、怒りを感じることもあったりします」と、こちらの目を真正面から見て、正直に続けた大橋アナ。
その上で「出ている以上は毒にも薬にもならないことは言いたくないと思っています。自分の役割の一つとして(世間の)風潮に水を刺すということをやりたいなって。『右にならえ』に世間の流れがなってしまっている時に本当にそうなのかなっていう疑問を提じられたらと思っていて、それは『5時に夢中!』という番組の立ち位置でもあると思うんです。言いにくいことを忖度(そんたく)せずに言うであったり、不当にたたかれてしまっている人たちに寄り添うじゃないですけど、そういう優しさを持っている番組だからこそ、出たいと思った部分もあります」と番組への思いもストレートに明かしてくれた。
そんな“こたつ記事”にも一過言持つ人気アナが一旦、表舞台から去って行く。
「さよならウィーク」初日の20日、4年間にわたって共演してきたマツコ・デラックス(50)は、こう言った。
「完全に向こうに移住するってことよね? すごい、本当にうらやましい。冒険家よね。ダンナについていこうってわけだから、冒険家でもありながら愛に生きる女。そんな勇気ないわ、私」と驚嘆した上で「1回の人生だから、その方が楽しいと思う。やれるだけ楽しみな、人生を。結局、こんな仕事やってると自由に生きてるように見えるけどさ。そうじゃないじゃない」と続けた。
マツコの言葉通り、今回の決断は本当に大橋アナが44年の人生経験から紡ぎ出した、彼女しかできない「らしい」ものだと思う。
17年にテレ東を退社し、フリーに転身。順調に現在の「売れっ子」としての地位を築いたが、生死の境をさまよった経験を持つ。スポーツ、情報番組、報道と見ない日がないほど局の顔として活躍していたテレ東時代の13年、軽度の脳梗塞を発症し、8か月に渡って休職。右首の内頸動脈解離が脳梗塞の原因だったため、現在でも首の動脈にはチタンが埋め込まれている。
1年前のインタビューでも「会社を8か月離れたというのは、すごく自分の中で大きかった。自分がいなくても会社はちゃんと回るんだというのを目の当たりにした時に自分の傲慢さというものを突きつけられた気がしました。(エースアナと)思っちゃってたんですね。そこで、すごく反省しました。穴の空いた時に誰かがその穴を埋めてくれる。その社会システムがあることこそが健全なのだと思い知らされました。自分が休んだことで教えていただきました」と正直に振り返った上で「人生の優先順位が本当に明確になりました。それまでは出世とか社会での名声とかに興味があったかも知れないんですけど、脳梗塞の後には『一番大事なのは命で、その次が健康で、以上!』ってなりましたね。人間としての軸が整ったなと思いました」と人生観の大きな変化も明かしてくれた。
今思い返せば「一番大事なのは命で、その次が健康で、以上!」という言葉。それこそが、同アナの行動原理だと気づく。
大橋アナ自身も売れっ子だが、テレ東時代の10年後輩で15年に結婚した上出氏は今をときめくフリープロデューサー。テレ東時代の19年にグルメドキュメンタリー番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート」でギャラクシー賞・テレビ部門の優秀賞を受賞するなど全く新しいテレビ番組の作り手として知られ、昨年も長澤まさみ主演ドラマ「エルピス―希望、あるいは災い―」のエンディング映像を制作するなど話題を振りまいている。
確かに現在、自分への出演オファーも多いが、今は夫の映像作家としての米国での挑戦を妻として、パートナーとしてサポートしよう。命、健康とともに大事な家族・夫を支えること。それは今しかできないことなのだろう。
一方で大橋アナの記事をアップすると、必ず1度目の結婚、離婚のことに触れ、中傷コメントを書き込む人物も一定数いた。だが、表面上の事象しか知らないのに1人の人間の人生の選択を匿名で揶揄(やゆ)するのは卑怯(ひきょう)そのものの行為としか、私には思えない。だが、そうしたストレスも今回の渡米が軽減してくれるとも思う。
1年前、「テレビ露出ももちろん大事だと思うんですけど、今はプラットフォームも増えてますし、活動できる場所も多様化してますし、自分が社会にとって、どういう存在でありたいかを考えることが大切かなと思います」と答えてくれた大橋アナはインタビューの最後には、こんな言葉も口にした。
「自分に嘘はつかないように。それを大事に活動しています」―。
その言葉を聞いていたから、今回の大きな決断にも心の底から納得がいった。
パートナーと共に今を疾走していく大橋さんに今は、こう言いたい。
「5時に夢中!」登場以来、「大橋アナ」が主語の“こたつ記事“は、この4年間で355本に上りました。ありがとうございました。今は充実したニューヨークライフを過ごされた上での、さらに魅力を増しての帰国をお待ちしております。近い将来、また、大橋さん特有の「朗らかな笑い」の記事を書かせて下さい。(記者コラム・中村 健吾)
◆大橋 未歩(おおはし・みほ)1978年8月15日、兵庫県神戸市生まれ。44歳。95年、16歳の時に阪神淡路大震災で被災。02年、上智大法学部在学中、ミスアナウンサーコンテストでグランプリ獲得。同大卒業後、テレビ東京に入社。スポーツ、バラエティー、情報番組中心に多くのレギュラー番組で活躍も13年、軽度の脳梗塞を発症し休職。約8か月の療養期間を経て、同年9月に復帰。17年12月、同局を退社。18年3月からフリーで活動開始。19年4月からTOKYO MX「5時に夢中!」にアシスタントMCとして出演も23年3月23日で卒業。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士取得。20年から厚生労働省循環器病対策推進協議会委員も務める。夫は元テレ東プロデューサー・上出遼平氏。趣味は山登り。