78年7日目の大関・旭国と、元大関の平幕・魁傑の対戦は長~い相撲となった。
魁傑が右を差すと、旭国も右を入れ、頭をつけた。投げの打ち合いから差し手も争い、両者の動きが止まった。4分過ぎ、水入りとなった。
水入り後も、旭国の左内掛け、魁傑の上手投げと攻めの応酬があったが、ともに決まらず。3分が経過した。再度の水入りで審判が協議。鏡山審判長(元横綱・柏戸)は「勝負つかず10分後、取り直しとします」と館内に説明した。この日の結びだった北の湖―青葉山の後に行われることになった。
取り直しの一番は、旭国がけたぐりの奇襲に出たが、魁傑は残り、またも左四つ。2分過ぎ。魁傑は次第に頭が上がって苦しくなってきた相手に対し、最後の力を振り絞るように寄り、左からすくい投げを決めた。計10分23秒超の激闘に終止符を打った。
歩くのもやっとの様子で花道を引き揚げた旭国は、「持っている力を全部出し切った。負けたけど納得している」とすがすがしかった。6日目も大関・若三杉と5分28秒の水入りの大相撲だった魁傑は、「2日続けて長い相撲で疲れた。もう引き分けでもいいかと思っていた」と息を切らした。
NHKは午後6時25分までテレビ放送を延長。当時、実況していた杉山邦博アナウンサー(92)は鮮明に取組を覚えている。「中継が延びて6時10分というのはありましたが、20分過ぎまでというのは後にも先にもあれだけしかありません。魁傑は連日大変だったし、旭国はすい臓が悪かったのに、あの相撲を取る精神力は大変なものだったと思います」と、両者をたたえていた。(久浦 真一)
◆魁傑 將晃(かいけつ・まさてる)本名・西森輝門。1948年2月16日、山口・岩国市出身。66年秋、初土俵。71年秋、新入幕。79年初、引退。最高位は大関。優勝2回。引退後、放駒部屋を創設。横綱・大乃国らを育てた。2014年5月18日死去(享年66)。
◆旭国 斗雄(あさひくに・ますお)本名・太田武雄。1947年4月25日、北海道・愛別町出身。75歳。63年名古屋、初土俵。69年名古屋、新入幕。79年秋、引退。最高位は大関。引退後は大島親方として横綱・旭富士らを育てた。174センチ、121キロ。
明日は1972年、長谷川の初優勝