動物ものまねの江戸家小猫(45)が、ネフローゼ症候群を乗り越えて5代目江戸家猫八を襲名する。寛解した現在の健康状態は良好で、父・4代目猫八(2016年死去、享年66)の命日である21日から東京・上野の鈴本演芸場を手始めに5か所で計50日間の襲名披露興行を行う。18歳から30歳までの12年間に及ぶ療養生活を「心に人生の底辺を作れた。むしろ病気に感謝している」と前向きに振り返った小猫が、父との思い出や大名跡を継ぐ覚悟を語った。(有野 博幸)
高校3年の秋、小猫を病魔が襲った。まぶたが腫れて病院で検査を受けると、ネフローゼ症候群と診断された。尿の中にタンパク質が多量に出てしまい、血液中のタンパク質が減ってしまう病気。重症化すると腎不全などの合併症が起こる可能性がある。
当初は「2か月の入院」という診断だったが、再発を繰り返し、療養生活は12年間に及んだ。発症原因は現在も不明だが、ラグビー部の合宿でブヨに刺された影響が考えられるという。
病気で体がむくみ、体重が10キロ以上も増量。さらにステロイド薬の副作用に悩まされた。「薬の副作用で骨がスカスカになって、背骨を圧迫骨折した時が一番大変だった。横になっていても背骨に体重が乗ると激痛なので、両手で体を支えないといけない。寝返りだけでも激痛。体を起こすのも、ベッドのリクライニングで少しずつ起こして、腰が安定するまで支えて、やっと座れる感じだった」。症状が安定しても薬を減らすと再発する悪循環が続いた。
それでも、長く苦しかった療養生活を今では前向きに捉えている。「人生の底辺を作ることができた。土台がしっかりできていると、どんなつらいことがあっても大丈夫。自分のコントロール方法を構築できた。環境に適応できるようになって、むしろ病気に感謝しています」。コロナ禍で仕事が激減しても「落ち込むよりも、できることをやろう」とすぐに気持ちの切り替えができたという。
物心ついた頃から、多くの人々を笑顔にする祖父や父に憧れた。父は自宅に仕事を持ち込まず、稽古する姿も見せなかった。ただ、一度だけ風呂場でウグイスの鳴きまねを聴かせてくれた。それも、小猫の小指を使って「ホーホケキョ」と鳴いた。「小学校1、2年の頃ですが、強烈な思い出ですね。自分の指で鳴いた喜びと『意外と強めにかむんだな』という感覚を教えてくれた」。自身の将来像を明確に描いた瞬間だった。
「江戸家を継がなくてもいい。ただ、ウグイスだけは鳴けるようになってくれ」。12年間の療養中、父に言われた言葉を鮮明に覚えている。今では、父の真意を「継ぐ覚悟があるのか、試練を乗り越えられるのか、確かめたんだと思う」と推測する。28歳になった頃、病気の症状が落ち着くと、家族が外出した時間を見計らって、ウグイスの稽古を開始した。大学院に通ってからも、帰宅前にカラオケボックスで自主練習に励んだ。
2009年の春、父と群馬県の法師温泉にバードウォッチングに出かけ、意を決して「実は練習しているんだ」と切り出した。初めてウグイスを鳴いてみせると、父から「ホーホケキョのケキョの部分、もっと抑揚をつけられないか?」と注文され、すぐにアレンジした。
その夜、そろって温泉につかり「秋に猫八を襲名するから、一緒に舞台をやらないか?」と誘われた。「自力でウグイスのハードルを越えたことが、師匠としてのゴーサインだったんだと思います。初めて認めてもらえて、うれしかったですね」。父は、息子がひそかに練習して芸を仕上げていたことを喜び、弟子入りを認めた。小猫が32歳の時のことだった。
曽祖父の初代から続く「江戸家猫八」の5代目。鳴きまねのレパートリーは100種類ほどだが、話芸も交えて寄席で披露できるのはウグイス、ゴリラ、テナガザル、カバ、ヤギ、ヒツジ、ヌーなど30種類ほど。体の中で動物を飼育している感覚で、「その日のコンディション次第で、どの動物をスタメン起用するのか決めます」。中でもウグイスは“看板選手”として欠かせない。
祖父・3代目猫八はNHKの「お笑い三人組」、TBS系ドラマ「時間ですよ」などでタレント、俳優としても活躍。09年に4代目を襲名した父は10歳から60歳まで50年間、名乗った「初代小猫」として強い印象を残しているが、クイズ番組の司会などスマートな芸風で親しまれた。その父は、進行性の胃がんで余命宣告され、66歳の若さで天国へ。病床で「猫八を継いでくれ。タイミングは任せる」と言い残し、「70までは猫八でいたかった」と無念さをにじませたという。
師匠でもある父を失った悲しみを乗り越え、「きちんと芸を見せることで恩返しをしたい」と心に誓った。父が亡くなった翌年、花形演芸大賞の銀賞を受賞。父が生きていれば70歳だった20年には芸術選奨文部科学大臣新人賞に輝き、5代目猫八襲名への機運が高まった。
研究熱心で時間さえあれば動物園に足を運ぶ。鳴き声に耳を傾け、飼育員から動物の生態についても勉強している。13年には父と2週間のケニア旅行でヌーの群れに遭遇。「ヌーは本当にヌーと鳴くのか。いまの時代、アフリカまで行かなくてもYouTubeでも調べられそうですが、現地まで行ったことに意味がある。そのばかばかしさも含めて、大事な持ちネタになっています」。本物と向き合うことが芸の基本だ。
ただ、病気は現在も「完治」ではなく、症状や異常がない「寛解」の状態。「疲れがたまると症状が出ることもありますが、安定しています。免疫をコントロールする薬を少量、飲んでいます」。芸を磨くことは重要だが、それよりも大切なのは健康な体を維持すること。現在も襲名披露に向けてあいさつ回りなど多忙な日々を送るが、「健康状態は良好です。心穏やかにベストコンディションで襲名を迎えられそうです」と晴れの日を心待ちにしている。
老若男女を笑顔にする江戸家の伝統芸。それを教育にも生かそうと模索している。タレントで魚類学者でもある、さかなクン(47)が理想だ。「ものまねで動物に興味を持ってもらい、学びのハードルを下げられたら」。将来的には、動物版のさかなクンとして教育番組などを担当するかもしれない。
父の命日である21日から5か所で計50日間の襲名披露を行う。期間中は色物(落語以外の演芸)としては異例のトリを務める。自他共に認める真面目人間は「色物は一芸入魂。自分なりに猫八という名前になじめるように精進していきたい。真面目ゆえに崩せる面白さもあると思います」と意欲的だ。コロナ禍で打撃を受けた寄席演芸の起爆剤としても期待されている。