◆第95回センバツ高校野球大会第1日(18日・甲子園)
2019年以来4年ぶりに声出し応援が認められ、全出場校が開会式に集う中、春の祭典が開幕。久しぶりに声援で彩られた甲子園の姿を、加藤弘士編集委員が「見た」で描いた。
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およそ半々だった。
この日の甲子園スタンド、マスクをした観客と外した観客の割合である。日本高野連が「マスクの着用は個人の判断」と定めても、3年間染みついた習慣はそう簡単には変わらない。
それでも「声出し再開」のインパクトは絶大だった。好プレーや全力疾走には客席から、でっかい声援が送られた。胸を打たれたのは第1試合の終了後、整列した東北ナインがグラウンドを去ろうとした瞬間だ。勝者の山梨学院と同じぐらいの温かい拍手が注がれた後、客席の誰かが叫んだ。
「またこいよ!」
甲子園ほど敗者に温かい戦場を、私は他に知らない。勝敗よりもむしろ一生懸命であるかが重要視される。
そういえばあの日も、スタンドからは「またこいよ!」の声が飛んでいた。11年前の12年3月21日、センバツ初日に実現した花巻東・大谷翔平対大阪桐蔭・藤浪晋太郎のマッチアップだ。
大谷は打たれた。最速150キロを計測しながらも、強力打線に苦しんだ。9回途中、173球を投げ7安打、11四死球で9失点。2回には右翼席にソロを放つが、投手としては屈辱だった。前年7月に左座骨を骨折し、万全ではなかった。
「自分のせいで負けて、野手に申し訳ない。制球が悪くて修正できなかった」。試合後の大谷は、そう自らを責めた。うなだれて聖地を去ろうとする大谷の耳に、あの「またこいよ!」はどう響いたのだろうか。
出場校の中で、敗者にならないチームは1つしかない。後は必ず負ける。ならば失敗から何を学び、どう夏につなげるか。それができる人間こそ、真の勝者と呼ぶにふさわしい。
侍ジャパンの奮闘に心を躍らせる春。超一流が仲間と思いを一つにして、全力でプレーする姿に、どこか甲子園での戦いぶりを連想してしまうのは私だけではないだろう。人々を夢中にさせる日本野球の良さがあるとすれば、それは高校野球によって育まれるものに違いない。栗山監督が「熱闘甲子園」のキャスターを長年務めていたのも、決して偶然ではないはずだ。
声援は“不要不急”ではない。人を奮い立たせ、前に進ませる力がある。観客の「声」も甲子園大会を構成する大事な要素の一つだと、改めて気づいた。だから、敗者には心を込めて「またこいよ!」と叫びたい。その一言がハートに火をつけ、未来の「侍」を生み出すかもしれないから。(編集委員・加藤 弘士)