来年デビュー50周年の大仁田厚、「プロレスを忘れられなくて50年やってきました」という言葉の重さ

スポーツ報知
14日のレスラーデビュー50周年会見で「プロレスを忘れられなくて50年やってきました」と話した大仁田厚(カメラ・中村 健吾)

 こんなにエネルギッシュな、いや、言葉を選ばなければ、ぎとぎとした油っぽい65歳がいるだろうか。

 「邪道」大仁田厚が14日、東京・巣鴨のプロレスショップ「闘道館」で会見を開き、来年4月のレスラーデビュー50周年に向けての意気込みを語った。

 ジャイアント馬場さんに憧れ、新弟子1号として入門した全日本プロレスで1974年4月14日、佐藤昭雄戦でデビューを飾った「涙のカリスマ」。

 27歳での左膝蓋骨粉砕骨折での1度目の引退。資金5万円で立ち上げたFMWでの成功と挫折。7度の引退、復帰を繰り返し「ウソつき」とまで言われる激動のレスラー人生について、会見場でマイクを持った大仁田は「恥ずかしながら早50年、半世紀が経ちまして。いろいろありました…」と自身ののどを指さした。

 「のどに傷があるんですけど、敗血症で死亡確率70%と言われて…。1500針以上の縫い傷もあって…。全日時代は膝蓋骨粉砕骨折という引退を余儀なくされたけど、プロレスを忘れられなくて50年やってきました」―。93年2月、遠征先の鹿児島で試合後に倒れ緊急入院。急性肺炎、敗血症を併発し、まさに生死の境をさまよったことまでネタにして微笑んだ。

 この日の会見直前まで尿道結石で入院していたことも明かした後、「7回引退して、7回カムバックしたと言われてますが事実です。ろくなもんじゃないのは分かってます」と自虐的に続けた。

 そして「50年やってきたんだよというのを皆さんに見せたい。もう、50年もやってきたんだ。半世紀やってるんだっていう重みをね。才能のある男じゃないし、体も大きくなかったし。粉砕骨折の後、デスマッチを思いついてやってきた。やれるところまでやろうかと。最後まで電流爆破というもので貫こうと思ってますんで」と決意表明した。

 直後に古巣・全日の石川修司(47)が195センチの巨体を揺らして乱入。4月29日開催のFMWE第8戦「~THE DAWN~」での電流爆破デスマッチでの対戦を受諾すると、「三冠獲って、来てくれよ!」と呼びかけた大仁田。

 会見の最後を「4月29日から50周年イヤーが始まります。最終的には川崎を予定しています。50周年大会、自分が思っている人がいますんで。僕が子どもの頃から憧れていた人を呼ぼうと思ってます」とメモリアルマッチ対戦相手として意中のレスラーがいることも明かした上でFMW時代、5万人超の観客を集めたこともある思い出の地・川崎球場(現・富士通スタジアム川崎)での一戦に向け「なじみ深い会場で。あそこしかないだろう」と目をギラリと輝かせた。

 会見の最後に「全日本よ! アジアタッグ選手権やれよ! いつまで待たせるんだよ!」と、2月4日の全日・八王子大会でヨシタツ(45)とのタッグでアジアタッグ王座を奪取して以来、防衛戦の連絡がいっこうにない全日に怒りが爆発。「アジアタッグ獲ったのに、マッチメイクに入れもしないじゃん。だから、今日の新宿FACE(大会)、見に行くから!」と宣言。その言葉通り、その足で新宿へ。きっちりと7000円のチケットを購入し、正面から堂々と会場入りした。

 この夜の第3試合で行われた全日本プロレス認定6人タッグ王座決定戦で大森隆男(53)、ブラックめんそーれ、ATM組が王者となるところをおとなしく見届けたが、新チャンピオンとなった、めんそーれがマイクを持つと「6人タッグのベルト獲ったぞー! このベルトを獲ったら、俺は言いたいと思っていた! 大仁田さん、あんた、アジアのベルト持ってるんだろ? 大森さんと俺に挑戦させてくれよ」と挑戦表明。

 この言葉を聞いた途端に表情が一変した大仁田。有刺鉄線バットを手に客席からリング下まで来ると「おい、頭に被ってるそれ、なんだ?」と、めんそーれのマスクに触れ挑発。「おい、電流爆破受けるんだな? 本当だな?」と問いかけた。

 「なんだってやってやるよ!」と、めんそーれが息巻き、大森にも「大仁田さん、とりあえず今日は、とっととお帰りください。そして、俺たちがベルトを取る時までに、ベルトを磨いておいてくださいよ」と煽られると怒り爆発。リング下に呼び寄せためんそーれの腹を有刺鉄線バットでひと突き。場外を引きずりまわし、最後は観客の持っていたペットボトルの水をぶちまける大暴れの末、会場を後にした。

 自身の要望でタイトルマッチは電流爆破デスマッチで行うことが決まっているアジアタッグ王座戦。大仁田は「大森さん、めんそーれさんよ。八王子大会の5倍の火薬量で電流爆破を用意する。後悔するなよ!」と絶叫した。

 50周年のメモリアルイヤーがスタートした初日に散々、大暴れして見せた大仁田。その1日に密着した私はFMWの総帥として大暴れしていた30年前とまったく変わらない、その大暴れぶり。そして、カリスマぶりに心底、驚かされた。

 ここ7年、プロレスの現場取材に舞い戻ったことで大仁田の試合に足を運ぶことが増えたが、「涙のカリスマ」の口にする言葉は恩師・ジャイアント馬場さんや、その存在を決して認めなかったアントニオ猪木さんが世を去っても、6年間の参院議員生活や佐賀・神埼市長選落選など、プロレス以外の人生経験を経ても、まったく変わらない。

 「一生1回、胸いっぱい熱く生きようぜ!」―。

 大仁田が、その言葉だけを胸に生きていることを近くで取材していると心底、感じる。

 そして「スポーツ報知」が大仁田の記事をアップするたびに「何回、引退するんだ、ウソつき」「借金はどうした?」などの言葉をコメント欄に匿名で書き込む人物も一定数いるが、そうした否定的な言葉は毀誉褒貶(きよほうへん)あれど、命がけで今を疾走している大仁田には決して届かないし、響かないことも分かる。

 真実は、その命がけの試合に心を動かされ、客席から「オオニター!」と声を枯らして大声援を送ったり、試合後、血まみれ、水浸しでサインをし続ける65歳の前に行列を作る本物のファンだけが知っている。そんなファンの姿を何度も、何度も見てきた。

 だから、今日も来年4月の50周年に向けて、血まみれ、汗まみれで走り続ける「涙のカリスマ」の背中を追い続ける。私は、そう心に決めている。(記者コラム・中村 健吾)

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