フィギュアスケートの羽生結弦さん(28)が地元・宮城県のセキスイハイムスーパーアリーナで行った「羽生結弦 notte stellata」は、3日間にわたる公演を12日に終えた。東日本大震災発生から12年、希望をテーマに開催された今回のアイスショー。スポーツ報知では、取材した高木恵記者が振り返るコラムを14、15日に特大写真と共に掲載します。
3月11日。午後1時10分に、羽生の練習が始まった。リンクインすると、イヤホンを耳にあてた。流れている曲は、羽生にしか聴こえない。何かのプログラムを滑り出した。氷とエッジがぶつかり合う音が、本番前の会場に響いた。
苦悩とも祈りともうつる表情で、激しく強く感情を解放した。3回転ループ、ハイドロブレーディング、トリプルアクセルからのイーグル。演目は「天と地のレクイエム」だった。魂が氷上を舞うようなスケート。フィニッシュポーズで右手を天に差し出すと、そのまま胸の前で両手を合わせ、静かに目をつぶった。
東日本大震災発生から12年。今回のショーは、大切な日に初めて観客の前で滑る機会となった。初日(10日)の公演後に言った。「3月11日という日に毎年、気持ちを込めながら、祈りの気持ちを込めながら、感謝の気持ちも込めながら、悲しい気持ちも込めながら、人知れず滑ってはきていました」。この日の「レクイエム」が、羽生の言葉に重なった。
遺体安置所だった特別な場所での公演だった。午後2時46分の黙とうを前に、リンク中央に向かった。エッジケースを胸にあて、目線を上に向けた。時間にして7分。思いを巡らせ、目を潤ませた。左手で涙をぬぐい、1分間の黙とうをささげた。終えると膝をつき、氷を触った。2時間にわたるアイスショー中も、何度も氷に手をやった。天を見た。涙を浮かべた。「春よ、来い」の演目中に、羽生は声にならない叫びを発した。「3・11」ならではの思いが、プログラムからあふれた。
千秋楽公演の12日、羽生は笑顔でBTSの「Dynamite」を踊った。「昨日はあんなに苦しくて、悲しくて、つらくて。1日たってみると、悲しさも超えて、やっぱり前に進んでいかなきゃなっていう気持ち」と口にした。記憶も希望も重ね、3日間を懸命に滑り抜いた。その姿は、満点の星のように輝いていた。(高木 恵)=敬称略=
◆3・11公演での最後のスピーチより
皆さん、本当に今日は、ありがとうございました。
こうやって、希望をたくさん届けたつもりですけれども、祈りもたくさん届けたつもりですけど、その後に、ちょっとだけ、ここで、なぜ、ここの氷にたくさん手をついていたか、そして手をついて、上に気持ちを上げていたか。少しだけ、宮城県民として、説明させてください。
ここは、宮城県民、そして仙台市民、すべての人々にとって、本当に特別な場所です。ここは…ここは、遺体安置所だったんです。だから…だから本当に、こうやって、たくさんの、今ある命が、ここの、場所に集まって、そのなかで僕が、こんな演技をしてしまって、3月11日という日に、この演技をして、ここに氷を張って、いいのだろうかという戸惑いは、すごくすごくありました。
ただ、今日この「notte stellata」をやって、きっと、震災に関わらなかった人も、震災で苦しんだ方々も、そして、震災のニュースを見て苦しんだ方々も、ちょっとでも、希望だったり、優しさだったり、そんな時間が、できたのではないかなと、思っています。そういうことを思えば、僕が、生きて、今日という日を皆さんの前で、この会場で迎えることができたのは、少しでも、意味のあることだったのかなと、自分を肯定できます。本当にありがとうございました。
人生って、僕が言うのもなんですけどね、本当に何があるかわからないですし。今、世界情勢的に、平和ではないかもしれません。火種はたくさんあります。ただそのなかで、少しでも平和で、優しさにあふれた日々が、訪れるように。この3月11日の「notte stellata」という星たちは、いつも皆さんの平和と、優しさと、幸せを、願っています。今日は本当に、ありがとうございました。
(腰を折って氷に両手をつき、リンクからあがる。マイクを通さずに「ありがとうございましたー!」と絶叫。再びマイクをオンにするように担当者にお願い)
どうか最後まで、最後の最後まで、気をつけて帰ってください。今日のある命は明日もあるとは限りません。今日の今の幸せは、明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください。本当にありがとうございました。皆さん、気をつけて帰ってください。
「-every.」生出演「あの日でしか出せない」
〇…羽生さんは13日、日本テレビ系「news every.」の新企画「羽生結弦 伝えたい思い」に「スペシャルメッセンジャー」として生出演した。3・11公演の映像後に「本当に特別なプログラムたちですし、あの日でしか出せないプログラムだったなって思っています」と振り返った。第1回となったこの日のコーナーでは、1月に被災地の福島・富岡町を訪問。帰還困難区域の現状を伝えた。今後も年に数回出演する。