ハンドボールの女子日本代表を長年にわたってリードし、今月48歳で現役引退した田中美音子(大阪ラヴィッツ)が、このほどスポーツ報知のインタビューに応じた。日本リーグで男女を通じて通算歴代トップ1655得点を挙げたハンド界の“レジェンド”。2008年の出産を経ても第一線を走り続けた競技への思いなどを語った。(取材・武田 泰淳)
* * *
■男女通じて歴代最多1655得点
田中は2月18日、大阪・堺市でのホーム最終戦で引退セレモニーに臨み、3月4日のリーグ最終戦で1得点を決めた。前人未到の1655得点でコートを去った。
「意外と、何も実感がないですね。日々、まだ(選手兼任だったチームディレクターとして)練習場に来たり、ジュニアチームの手伝いに来たり、全く何もしなくなったわけではないので」
四天王寺高を卒業後、1993年に日本リーグ2部の大和銀行に入り、それから30年後、地元・大阪のチームで選手としてのキャリアを終えた。デンマークへの海外移籍、出産を経ながら数々の功績を残した。
「濃い競技生活? そうですね。振り返るとキリがないくらい、いろいろ経験させてもらいました。でも、やりきったかというと、それは難しい。結局、達成できなかったものがあるから続けてきたり、目標、目的ができたりしたので。(2016年に)ラヴィッツができた時に来て、プレーオフに連れて行くという目標のが一つあったけど、そこは達成できずに終わった。だから、やりきったかどうかというと、ちょっとハテナだと思います」
女子日本代表としても1994年の広島アジア大会での銀メダルから、世界選手権など数々の国際大会で活躍した。
「やり残したことはいっぱいあるけど、それを目指したからこそ、得たものもすごく多かった。仲間だったり、指導者の方だったり、本当にいろんな人の支えがあった。出産した時もそうですけど。環境だったり、サポートしてくれた人のおかげと思っています」
■手が届かなかった五輪「その場に…」
「やり残したもの」の一つが五輪。予選で悔しい思いをし続け、出場することはできなかった。
「世界選手権は、自分がナショナルチームに入った年の予選で勝てて9年ぶりに出場。そこからずっと行ってるので、当たり前に出られる大会になっていましたけど、五輪だけは手の届かないところだった。(田中の以前に)出た人に聞くと『世界選手権とは違う』と。比較は難しいところですが、ハンドでは(出場枠の違いから)世界選手権の方がレベルが高いかもしれない。でも『五輪は違う』と言われて、それを体験し、その場に立ちたかった」
2008年に長女を出産した。その後ではバレーボール・荒木絵里香、サッカー・岩清水梓らがいるが、日本では女性トップアスリートが出産を経て復帰するケースは、まだ多くない時代だった。
「自分は海外移籍、出産も当たり前というか、普通に復帰するのが一つの選択肢と思っていた。当時はナショナルチームも含めて、あまり(育児支援の)環境がなかったので、そういう選手が出てきてもいいかと思っていました。今だと、(東京にある各競技の強化拠点)NTC(ナショナルトレーニングセンター)に託児所とかありますよね。私が出産した時は(託児所は)なかったのでは。あったとしても教えてもらっていない。そこまで当たり前じゃない感じだった」
■産後4か月で再びコートへ
出産2か月後には練習を再開し、4か月後には所属チームで再びコートに立っていた。
「帝王切開だったので予想より、動けるタイミングが1か月遅かった。普通分娩なら1か月ぐらいで動けるのが、2か月ぐらいあまり何もできなくて、そこからのスタート。そういう知識もなく、難しさはありました。復帰後は子どもをチームの遠征に連れて行っていました。そこでの託児所や、あとは実家。あの年齢ですごく飛行機にも乗っていたでしょうね」
身長160センチ。女子でも決して大柄ではないが、コンタクトの激しい競技で膝や足首、肩の手術歴はなく、キレのある動きで得点を重ねた。
「自分では何得点だとか考えることはなかったですね。やっぱりチームとして点を取って勝つことが大事だったので。手術したのは指を骨折した時ぐらい。(接触から)逃げ回っていたんでしょうね(笑い)。スピード? そこまでない。ないものがたくさんあったのが、(プレーを追究し)よかったんだと思います」
シーズン閉幕を前に引退発表。今後は、中学2年の長女も所属するジュニアチームなども指導しながら、セカンドキャリアを考える。
「毎年、シーズンが終わってから自分に向き合って(去就を)決めたいけど、そういう感じではいけなくなった。(決断した理由は)そろそろ若い選手にとか、チームとしても勝っていないとか…。いろんなことを含めてですね。ハンドボールしか知らない中でやってきた。趣味? それがないんです。今もこうやって毎日、ハンドを見ない日はないので、見ない日が続けば向き合えるかな。練習場に来てると何かハンドのこと考える。今日は大人、今日は子どもって考えて、ビデオもみたりしていると、まだ今後を考える暇はないです」
◆田中 美音子(たなか・みねこ)1975年1月14日、大阪・豊中市生まれ。48歳。豊中市立第十中で競技を始め、四天王寺高卒業後、93年に日本リーグ2部の大和銀行に加入。1部に昇格した94年に得点王。所属の廃部により、2000年から2シーズンはデンマークのチームでプレー。02年に日本リーグのソニーセミコンダクタ九州に加入。07年に日本女子初の1000得点を記録。08年に長女を出産し、09年に復帰。16年、地元・大阪に創設された大阪ラヴィッツ入り。日本リーグで最優秀選手賞3度、得点王4度、ベストセブン11度。日本代表は93年に選ばれて以降、アジア選手権で優勝1度、準優勝2度。160センチ。