羽生結弦さん 黙とう、涙 「命」見つめて 3・11観客前での初演技

スポーツ報知
「春よ、来い」を終えて氷に触れる羽生結弦さん(カメラ・矢口 亨)

 フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌五輪を連覇し、昨年プロ転向した羽生結弦さん(28)が座長を務めるアイスショー「羽生結弦 notte stellata」の2日目公演は、東日本大震災発生から12年を迎えた11日、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで行われた。午後2時46分に出演者と黙とう。遺体安置所だった会場から、鎮魂の舞を届けた。公演は12日まで開催される。

 開演前の午後2時46分。出演者とともに氷上で1分間の黙とうをささげた羽生さんの目から、涙があふれた。

 言葉に、滑りに、特別な日に懸ける思いがにじんだ。2時間にわたるアイスショーの間、何度も氷に触れた。何度も目を潤ませた。震災から12年。3月11日、初めての観客を前にしての演技。最後のあいさつでマイクを握った。

 「希望をたくさん届けたつもりですけど、祈りもたくさん届けたつもりですけど、その後にちょっとだけここで、なぜここの氷にたくさん手をついていたか、そして手をついて上に気持ちを上げていたか、少しだけ宮城県民として説明させてください」と切り出した。

 「ここは、宮城県民、そして仙台市民、すべての人々にとって、本当に特別な場所です」。震える声で言った。「ここは…ここは、遺体安置所だったんです」。氷を張り、自分が滑ることへの葛藤もあったと明かした。鎮魂、祈り、希望。すべての感情を込めて舞った。「今日この『notte stellata』をやって、震災に関わらなかった人も、震災で苦しんだ方々も、そして震災のニュースを見て苦しんだ方々も、ちょっとでも、希望だったり、優しさだったり、そんな時間ができたのではないかなと思っています」

 最後に両手を氷に置き、リンクから上がった。もう一度マイクを手にした。

 「どうか最後まで、最後の最後まで、気をつけて帰ってください。今日ある命は明日もあるとは限りません。今日の今の幸せは、明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください」(高木 恵)

 ◆羽生結弦さんの2011年からの12年

 ▽11年3月11日(16歳) アイスリンク仙台で練習中に被災し、スケート靴のまま外へ。自宅は全壊判定、家族で避難所暮らしも経験。

 ▽同4月 神戸でのチャリティー演技会で「ホワイト・レジェンド」を舞う。募金活動も。

 ▽同11月 ロシア杯でGPシリーズ初優勝。

 ▽12年3月 震災発生から1年の11日に「アイスリンク仙台復興演技会」に出演。17歳で初出場した世界選手権で銅メダル。

 ▽同11月 宮城で行われたGPシリーズNHK杯で優勝。

 ▽同12月 全日本選手権初優勝。

 ▽13年12月 GPファイナル初制覇。

 ▽14年2月 ソチ五輪で史上2番目に若い19歳69日で金メダリストに。

 ▽同3月 世界選手権初優勝。

 ▽同4月 仙台で凱旋パレード。沿道に約9万2000人が集まる。

 ▽16年1月 復興支援を目的とした「NHK杯スペシャルエキシビション」が盛岡で開催。「天と地のレクイエム」を演じる。

 ▽同12月 GPファイナルで男女通じて史上初の4連覇。

 ▽17年4月 世界選手権フリーで10.66点差を逆転し3季ぶり2度目制覇。

 ▽18年2月 平昌五輪で男子66年ぶりの連覇。

 ▽同4月 仙台で五輪連覇の凱旋パレード。沿道に約10万8000人。

 ▽同7月 個人最年少23歳で受賞した国民栄誉賞の表彰式に地元の伝統織物「仙台平(せんだいひら)」のはかま姿で出席。

 ▽20年2月 四大陸選手権を制し、男子初の「スーパースラム」を達成。

 ▽22年2月 北京五輪で4回転半ジャンプに挑戦。

 ▽同7月 プロ転向。

 ▽23年2月26日 フィギュアスケート史上初の単独での東京ドーム公演。

 ▽同3月 宮城では座長を初めて務めるアイスショーを開催。

 ◆配信 宮城から希望を発信。「羽生結弦 notte stellata」最終日はHuluストアで生配信(12日午後4時まで販売)。

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