【センバツ】11年春以来出場の東北・佐藤洋監督が全国に伝えること・・・3・11東日本大震災から12年「未来へ」(2)

スポーツ報知
東日本大震災直後に行われた11年センバツで全力プレーを見せた東北ナイン

 東日本大震災発生直後の11年春に開かれたセンバツ高校野球に出場した東北(宮城)は今春、その年以来12年ぶりの出場を決めた。10日には、組み合わせ抽選会が行われる。佐藤洋監督(60)は南三陸町との震災前からの深い縁を明かし、佐藤響主将(新3年)がチームで昨夏現地を訪れた際に感じ、抱いた思いを語った。

(取材・構成=有吉 広紀)

 石巻市出身の佐藤監督だが、隣接する南三陸町とのつながりは深い。震災発生以前から、多くの方々にお世話になってきた。

 「07年から4年間、全国から子供たちを集めて南三陸で合宿をしたんです。そのときに地元の方々が細かなことまでバックアップしてくれた。また、野球教室を月2回やっていました」

 震災後、被災地とは連絡がつきにくくなった。ようやく安否確認できたときの、彼らの言葉に心を打たれた。

 「生きてさえいてくれればいいと思っていたら、10日後くらいから僕のブログのコメント欄に連絡がくるようになった。しばらくして電話がきて、(教室に参加していた)小学生や中学生が『心配かけてすいませんでした』って言うんだ。家を流されているのに相手のことを思いやるなんて、考えられなかった」

 物資を運んだり支援を始めた佐藤監督。1か月ほどたったあるとき、グラブとバットを持っていった。

 「今欲しいものじゃないでしょう、と思ったけど、我々にできることってこれしかないよなって。そのときお母さんと子どもが来て、『野球やっていないんですけど頂いてもいいですか?』『どうぞ使ってください』って。2人がキャッチボールしている姿を見たとき、持ってきてよかったと思いました。元気を与えに行ったのに逆に元気を頂きましたってみんな言うけど、あれは本当なんです」

 監督就任後の昨年8月、選手たちとともに南三陸を訪れて語り部さんの話を聞き、震災遺構を回った。

 「(震災時は)4歳や5歳で、関西出身の子もいる。僕自身南三陸から始まっているところもあるから、連れて行ってどう感じるかなと思ったんです。(訪問後は)変わりましたね。人の痛みを知ることで素直さが生まれた。野球をやれるって当たり前じゃないし、野球をやれる喜びを感じたんじゃないかな。どこかに素直さがないと伸びていかない」

 11年以来となるセンバツ出場。多くの思いを感じながら全力プレーする。

 「12年たったけど全く別物ではないですし、関係ないとは思わない。今こんなに元気に頑張っています、ということを伝える役割があると思っている」

 ◆佐藤 洋(さとう・ひろし)1962年6月9日、宮城・石巻市生まれ。60歳。東北では2年春夏、3年春夏の4度甲子園出場。最高成績は3年春の8強。電電東北(現NTT東北)に進み、84年ドラフト4位で巨人に入団。87年に一軍初出場。94年に現役引退。その後アマ野球の指導に携わり、昨年8月に東北高監督に就任した。

 〇・・・チーム全員で訪れた南三陸での体験を、約7か月たった今も東北・佐藤主将は鮮明に覚えているという。

 「話してくれている語り部さんの手が震えていて、どれだけ大変なことだったんだと…。戸倉中(現戸倉公民館。海抜約20メートルの高台にある)では、こんなところまで津波が来るの? って想像できなかった」

 震災発生時は幼少のため、仙台市出身だが被害の大きさはわからなかった。語り部の話を聞き、3階建ての建物が波にのまれた防災対策庁舎を目にして、感じた思いをぶつけたい場がある。

 「センバツで選手宣誓をやりたい。被害を受けた方々のつらさや苦しみは想像つかないけど、少しだけ感じた。いろんな方々のいろいろな思いを込めてやりたい」

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