箱根駅伝優勝4回を誇る古豪、大東大は2022年度、復活へ確かな一歩を記した。宮城・仙台育英を全国高校駅伝優勝に導いた実績を持つ大東大OBの真名子圭(まなこ・きよし)監督(44)が昨年4月に就任。チーム改革に成功し、昨年10月の箱根駅伝予選会を4年ぶりに突破、しかも、トップ通過を果たした。ただ、本戦では16位に終わった。真名子監督は、収穫も課題も多く得た1年目を振り返ると同時に、さらに飛躍を期す2年目以降への展望を語った。(取材・構成=竹内 達朗)
昨春、大東大再建の切り札として就任した真名子監督は、波乱万丈の1年目を端的に自己採点した。
「10月の箱根駅伝予選会まで100点満点。その後は50点です」
2019年の箱根駅伝1区で新井康平(当時4年)がスタートからわずか約200メートルで転倒する不運に見舞われたことが大きく響き、19位で終わった。以来、3大会連続で予選会敗退。大東大の復活は「高校駅伝日本一の名将」に託された。19年度まで奈良修元監督(52)、20~21年度は馬場周太前監督(41)と指導者が短期間で交代し、現4年生にとっては3人目の監督だった。
「就任する前、箱根駅伝に出られないし、監督も何度も代わっているという状況で選手たちはすれてしまっているかな、と思ったら、全く違いました。強くなりたい、箱根駅伝に出たい、という気持ちがあふれていた。その学生たちの姿勢を見て手応えをつかみました」
箱根駅伝4勝、全日本大学駅伝7勝、出雲駅伝1勝。学生3大駅伝計12勝は歴代7位。1990年度には史上初の学生駅伝3冠を達成した。輝かしい歴史を誇るが、それは過去の栄光でもある。母校を愛するがゆえに、OBの真名子監督は明確に話す。
「先輩たちの素晴らしい実績は尊重します。でも、今の大東大が学ぶべきは昔の強い大東大ではなく、駒大や青学大など今の強い他校です」
就任直後、練習方法を見直し、さらにユニホームサプライヤーをアディダスに変更するなど競技面以外でもチーム改革に着手した。
「奈良元監督や馬場前監督を否定するわけではありませんが、スピード練習も練習量も足りていませんでした。私が就任する前まで練習時間やメニューが毎週、決まっていましたが、今は選手の体調や天候を考慮して練習のメニューや時間を毎日、細かく変更しています」
新監督の改革と選手の意欲はかみ合い、すぐに結果は表れた。昨年6月19日、全日本大学大学駅伝関東選考会を5位で突破。5年ぶりの本戦出場を果たした。
「やはり、全日本大学駅伝の出場を勝ち取ったことは大きかった。選手はやればできる、という自信を持ちました。いい流れで夏合宿に入り、質量ともに充実した練習を積むことができました」
昨年10月15日の箱根駅伝予選会で大東大はさらに上昇した。トップ通過を果たし、4年ぶり51回目の復活出場を決めた。
「全日本大学駅伝関東選考会の通過はサプライズでしたけど、箱根駅伝予選会の突破は予定通り。チーム全員が自信を持っていました」
特にチーム初のケニア人留学生のピーター・ワンジル(2年)の復調が見事だった。1年時は全日本大学駅伝関東選考会、箱根駅伝予選会でいずれもチーム最下位に終わるなど絶不調だったが、5月に5000メートルで13分31秒97の自己ベストをマーク。仙台育英高を卒業後、実業団のコモディイイダに3年間、在籍していたワンジルにとって高校2年生以来、実に6年ぶりの自己ベスト更新だった。高校時代の恩師の真名子監督の指導を受けることで本来の力を取り戻した。2年時は全日本大学駅伝関東選考会、箱根駅伝予選会でいずれもチームトップの大活躍だった。
「ワンジルはシャイな性格なので、1年の時はあまりチームメートと話していなかったようです。私が間に入って密なコミュニケーションを取るようにしました」
箱根駅伝予選会まで「100点満点」だったが、本戦に向けては厳しい戦いとなった。
「トップ通過はうれしかったけど、うまく行き過ぎたという面もありました。選手は体も心も上がりきってしまった感じでした」
山上りの5区で期待していた西代雄豪(2年)は故障のため16人の登録メンバーから外れ、調子が上がりきらない選手もいた。
「当初、考えていた通りの区間配置ができませんでした。ピーター(ワンジル)は4区を予定していましたが、チーム事情で2区を任せました。前半、ハイペースで突っ込み過ぎて、後半に苦しみましたね」
1区の久保田徹(3年)から15位でタスキを受けたワンジルは一時、9位まで順位を上げたが、権太坂手前の14キロ以降に失速。区間最下位でチームも最下位に後退した。
「運営管理車に乗ることは初めてなので知らなかったのですけど、混戦になった時、2区の途中まで選手のすぐ後方に運営管理車はつけなくて指示を出せませんでした。(声かけポイントの)15キロでやっとピーターの後ろにつけましたけど、その時はすでにバテていました。私もピーターも経験不足でしたね」
2区に続いて3区の終了時点でも最下位。4年ぶりの箱根路は甘くはなかった。しかし、収穫もあった。西代に代わって5区を務めた菊地駿介(3年)が区間12位で2人抜き。6区の佐竹勇樹(3年)は区間6位と好走。「山の大東」と呼ばれた伝統の力の一端を見せた。
「来年の5区候補には西代と菊地がいます。菊地は平地区間でも強いので、西代が5区を走ればチームの厚みは増すはずです。6区の佐竹は区間3位以内、あるいは区間賞を狙ってほしい」
往路17位、復路12位。総合16位で4年ぶりの箱根駅伝を終えた。総合記録は11時間6分8秒。これまでのチーム記録(19年、11時間19分48秒)を13分40秒も更新した。
「やはり箱根駅伝はやりがいがあります。走った選手も走れなかった選手も本戦に出場することで貴重な経験を積みました。来年はシード権(10位以内)を取ります」
名門の仙台育英で10年間、指導した真名子監督は全国の強豪高の指導者と親交を持つ。箱根駅伝に復活出場を果たしたことで有力な高校生のスカウトもプラスに働いている。大東大には追い風が吹き始めているが、経験豊富な指揮官は、上を見るだけではなく、足元を見ることも忘れてはいない。
「1年目はほぼ順調だったからこそ、2年目に落とし穴もあります。予選会は通って当たり前と、自信を持つことは大事ですけど、油断をすると怖い。そのバランスに気をつけたい。大東大の完全復活はまだまだ先です」
今年9月20日に創立100周年を迎える大東大。そのメモリアルイヤーに第100回箱根駅伝に臨む。
〇…真名子監督と同様に選手も、22年度は確かな手応えを得て、新年度に向けては自信を持っている。新チームの主将に就任した松村晴生(3年)は「真名子監督の練習メニューは目的が明確なので、みんな成長できていると思います」と話す。今回の箱根駅伝で1区15位だった主力の久保田徹(3年)は「来年は2区で他校のエースとしっかりと戦いたい。チームとしては必ずシード権を取ります」と意欲的に話した。
◆大東大 1967年に陸上競技部創部。同年度の68年に箱根駅伝初出場。8度目の出場の75年に初優勝を果たす。76年も制して連覇。90、91年も連覇し、通算4勝。出雲駅伝は優勝1回(90年)。全日本大学駅伝は73年の初優勝以来、7回制した。90年度には史上初の学生駅伝3冠を達成。タスキの色はライトグリーン。主なOBは箱根駅伝5区4年連続区間賞の大久保初男氏、88年ソウル五輪長距離代表で元拓大監督の米重修一氏、2016年リオ五輪男子マラソン代表で現亜大コーチの佐々木悟氏ら。
◆真名子 圭(まなこ・きよし)1978年9月27日、三重・四日市市生まれ。43歳。97年に四日市工から大東大に入学。箱根駅伝では1年7区14位、2年1区14位、3年1区9位。主将を務めた4年時は10区で区間記録(当時)の区間賞。2001年にホンダに入社。06年に退社し、教員免許取得のため再び大東大で2年、学ぶ。その間、大東大コーチを務めた。三重県の公立高校に勤務した後、12年に仙台育英高監督に転身。全国高校駅伝では優勝1回、2位1回、3位2回。家族は妻、長男、長女、次女。