◆早大OB・三田裕介さん(33)
マラソンで世界一の選手を育てる。2011年の箱根で早大の7区を担い、チームの学生駅伝3冠に貢献した三田裕介さんは、不動産業を展開するメイクスの陸上部監督として、大きな夢を掲げる。
JR東日本、NTNで競技を続けたが、「結果も出せず、自分に期待ができなくなった」と引退。「ずっと陸上をやってきたから、社会人として知らないことが多かった。違う生き方もあるんじゃないかと思った」と競技者への未練はなく、前に進んだ。NTNでは1年間、部品の営業も経験した。
転機は、NTNを退職後に大学時代のチームメートと設立したジムでの出会いだ。ジムのお客さんだったメイクスの仲村周作社長から、新設する陸上競技部の監督の打診を受けた。「ジムのお客さんは9割がアスリートではなく一般の方で、ほとんどが管理職以上。いわゆる“仕事ができる人”たちでした。短時間でどうやったら成果を出せるか、探究心がすごくあって、アスリートみたいだった。その中でも、仲村はトレーニングなどに対して『なぜですか?』と問うことが断トツで多かった。この人の下でだったら、自分が成長しながら、選手も成長させることが出来るんじゃないかと思った」。未経験ながら、指導者の道へ進んだ。
21年4月、監督に就任。初年度は選手集めに奔走した。「実績がないから、簡単ではなかった」というが、箱根路でも活躍した菊地賢人、鬼塚翔太らが加入。複数の大学にも足を運び、「競技レベルはまだ高くなくても本気度を重要視した。(五輪金メダルの)高橋尚子さんも野口みずきさんも、最初から強かった訳じゃない」と励んだ。現在は、ケニアにも活動拠点を持つなど練習環境が整い、4月からは選手8人体制で世界の舞台を目指す。
今年2月、1988年ソウル五輪1万メートル代表の遠藤司さんをコーチに招へいし、さらなる底上げを図る。93~04年まで母校の早大での指導経験を持つ遠藤さんは、昨年までの約17年間、現役時代から在籍するエスビー食品で小学生のマラソン大会などのイベント業務に携わってきた。知人の紹介で現職のオファーを受けたのが1月26日。以前から、指導者を「もうちょっとやりたかったな」という思いに加え、「ずっと陸上競技に関わってきて、ある程度、上(の舞台)までいけた。そこそこ幸せな人生を送れているから、陸上競技に恩返ししたい」と、指導者への復帰を決断。「土台、基礎を作るところをお手伝いしたい」と、わずか6日後、2月1日から練習場に立つようになった。
三田さんが箱根駅伝で得たものは、「人との出会い」だという。今でも、当時に出会った人とのつながりが多く続き、「遠藤さんも紹介いただいたし、今のチームのアスレチックトレーナーも大学の同級生。2つ下の後輩もチームに関わってもらったり、新しくなるチームのユニホームも昔からの知り合いだったり…。箱根駅伝がなくては、今の僕はない」と、恵まれた縁に感謝する。「コツコツだと思うけど、駆け上がりたい。結果を残せる指導者になるために、挑戦し続けたい」。あふれる熱意を、形にしていく。(小又 風花)
◆三田 裕介(みた・ゆうすけ)1989年10月24日、愛知・蒲郡市生まれ。33歳。豊川工3年の07年全国高校駅伝1区日本人1位。08年に早大スポーツ科学部に入学し、箱根駅伝は1年時4区で区間新(当時)、3年時7区2位でチーム18年ぶりの総合優勝に貢献。JR東日本、NTNを経て16年に現役引退。21年4月からメイクス陸上競技部の監督を務める。