昨年10月1日に79歳で亡くなった偉大なプロレスラー、アントニオ猪木さんの「お別れの会」が7日午前11時から両国国技館で行われた。
追悼式典には、遺族を代表して長女の寛子さん、猪木さんの実弟の啓介さんらが参列。プロレス界から武藤敬司氏、蝶野正洋、船木誠勝、新日本プロレスのオカダ・カズチカ、棚橋弘至、プロレスリング・ノアの清宮海斗、拳王、ストロングスタイルの間下隼人らが出席した。さらに一般の参列者をあわせ4800人が来場した。
式典後、現在、ロサンゼルスに在住する長女の寛子さん(48)が猪木さんが亡くなった後、初めて報道陣の取材に応じた。
「まだパパが亡くなったってことを落ち着いて考えてないし、時々ふっと悲しいなって感じています」
猪木さんと女優の倍賞美津子との間に1974年8月2日に生まれた寛子さん。子どものころの思い出をこう振り返った。
「小さいときの思い出は、家にいないから“悲しいな。パパが恋しいな”って。ただ、(母方の)おじいちゃんとおばあちゃんに連れられてよく試合とか見にいっていました。おじいちゃんより、おばあちゃんが(プロレスが)好きで。私はおじいちゃんとよくラーメン食べて試合はあまり見てなかったんです」
今、一番、思い出す父の姿は引退後にロスに住んでいた時のリラックスした笑顔だという。
「思い出すのはロスに住んでいた時にご飯を食べにいった時のリラックスした(姿)。短パンとTシャツでよく棒を持ちながら道を歩いて、サンタモニカのビーチで“スティックマン”って言われて、みんなに“ハイ”って言いながら(歩いていました)」
自分自身が年を重ねるごとに父の思いが分かった。
「今、大人になって、(父は)すごい家庭を犠牲にした。でもそれが彼のよさだった。こんなにも大勢のファン、人たちを喜ばせて、それは家庭を犠牲にしないとできないことだって理解できているし。小さいときはどっか食べに言った時も誰かが写真を撮りに来たり、どうしてみんな撮りにこなきゃいけないのかな?って思っていたんです。今から思うと家庭に籠もって人生を過ごす人じゃかった」
追悼式典は、最後にオカダ・カズチカと並んで次男の尚登さん(14)が「1、2、3ダァー」を天国へささげた。
「彼にやりたいかやりたくないかを聞いて、彼がやりたいって言ったから、やらせました。もし、やりたくないって言ってたらやってなかったと思うし」とし、尚登さんと長男・寛太さん(20)の2人の子どもたちが祖父である猪木さんを尊敬していることを打ち明けた。
「彼らは、小さい時からビデオを見てて“おじいちゃんがこういう技をやってるよ”とか話をしていて、私はそういう面で興味がなかったから。でも、私が言うより自分たちでビデオを探して。だから、大ファンです、子どもたちは」
ロスの自宅には遺骨をおいて、毎朝、2人の子どもは「グッドモーニング」とあいさつしているという。尚登さんは、今、ロスでレスリングを学んでいる。将来は猪木さんのような格闘家、プロレスラーになる夢を打ち明けているという。
「(次男はそう)言っているけど。最初は格闘技を練習していて、今後どうするかは彼が決めればいいこと」
寛子さんは、母である倍賞美津子さんの猪木さんへの思いも明かした。
「(母は)『素晴らしい人だったよ』って。最後まで連絡は取り合っていましたし」
そして、猪木ファンへこうメッセージを残した。
「みんな、つらいことがあったり思ったら、海を見てパパのことを思い出して、そのつらさを乗り越えて生きていてくれればいいなと思う」
最後に寛子さんが思う「猪木イズム」をこう表現した。
「最後まで、死ぬ間際までみんなのために何かをしてきた。最後までやり遂げることです」
(福留 崇広)