プロスケーターの羽生結弦さん(28)が座長を務めるフィギュアスケートのアイスショー「notte stellata」は、10日から3日間、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで行われる。スペシャルゲストとして出演する体操男子五輪連覇の内村航平さん(34)の単独インタビューは2回目。テーマは「五輪」。
(取材・構成=高木 恵、小林 玲花)
―羽生さんはプロ転向会見で「羽生結弦という存在は重荷だった」と言っていた。内村さんにとって内村航平は?
「僕は重荷ではなかったですね。あの一番輝いていた時代の内村航平を、僕はものすごく客観視していて。あそこにはもう戻れないのは分かっているし、あそこで輝けたからこそ今があるっていうのもあるので。重荷ではなかったかなと。自分らしく、自分にしかできない経験をさせてもらったなってシンプルにそう思います。戻ってみたいなって思いますけどね。あの状態でずっとできるのであれば、ずっとやってみたかった」
―えっ!? あのプレッシャーがずっとついてきても構わない?
「それがあるからいいんですよ。それがあるから、あそこに行けるんで。あのプレッシャーを感じることがない生活を今送っていると、刺激が足りないって思っちゃう。ほんと生きるか死ぬかのところでやっていたので。そういう時に人間は限界を超えられるんだろうなと思うし、だからああいう演技ができたのかなって」
―羽生さんに聞いてみたいことがあると。
「平昌五輪【注1】の時のことですね。けがでその前の試合に出なかったじゃないですか。あそこからなぜあの状態まで持って行けたのかを聞きたかったんですよ。でも僕は、金メダルを取るだろうなと思っていました。羽生結弦だから取るよなと思っていたら、本当に取った。僕がリオで逆転で取った時【注2】も、これ以上ないっていうことをやったのにもかかわらず、その2年後にさらに上をやってくるっていうのが『うわ、すごいな』と思って。僕はわりかし万全な状態で挑んでいたので自信もあったし、やれば取れるだろうなっていうのもあったんですけど。羽生くんの場合、スケートをできるかできないかの状態で、あそこまでできるっていうのが、意味が分からなかったですね(笑い)。今回のショーで機会があったら絶対に聞きたいんですよ」
―平昌五輪での羽生さんは、試合前に多くを語らなかった。
「僕も言わないでしょうね。そういう状態だったら。多分言わないです。『そうなれば一番かっこいいよな』っていうのを思い浮かべて、やる。同じ性格なんですよ、多分。危機的状況ほど楽しんじゃうっていうか、危機的状況でも一番いい自分を想像できている。絶対思っていたはずなんですよ。足をけがして、出ない、姿を見せない、世の中は『大丈夫か?』って思う。でも『できる、金を取る、はい最高にかっこいい』。彼の中ではそれを絶対にやるって決めていたと思います」
―内村さんと羽生さんが口にする「全力」は、程度が違うと感じることが多い。
「結局、全力だと足りないんですよね(笑い)。死ぬ一歩手前くらいまで努力できるかどうかなんですよ、大げさに言うと。そこを多分、僕も羽生くんも知っているからこそ、できるのかなっていう。1回五輪で金メダルを取って、経験するんですね。『ああ、ここまでやらないと取れないんだ』っていうのをそこで知れるんです。だから五輪を知っているっていうのは、そういうことだと思う。金メダルを1回取れば取り方は分かるので。あとは演技者なんで、どういう見せ方で取るかってところにこだわるんですよ、2回目は」
―16年リオ五輪の大逆転劇も、思い浮かべていた?
「いや、思い浮かべていないです(笑い)。まさかあそこまで差がつくとは思っていなかったですけど。ただ彼(オレグ・ベルニャエフ)が調子がいいのは、リオに入ったときから知っていたので。でも今まで迫られたこともないし、世界の経験でいうと、僕の方が圧倒的に上だったので、まあ、ないだろうなと思ったら、『意外とやばいな』って。点数は見ていなかったんですけど周りの雰囲気がそういう感じだった。個人総合は24人が演技しているんですけど、2人しかやっていないような。僕は周りが見えなかったです、彼以外。あの時は、かなりしびれましたね。あれはさすがに、もう一回やりたいと思わない(笑い)。もう一回やったら負けるんで、絶対。多分、負けます。本当にあの場面でしか出せなかったかなっていう気がしますね」
―ああいう局面で、鉄棒の演技中に「着地が止まらなかったらどうしよう」と浮かんだりはしないもの?
「いや、なんにも考えてないです。練習でも常に止める意識を持って、止める練習をしていたので、もう意識しなくても止まる状態ではあったんですよ。なので最後の最後、練習と同じようにできたなっていう。最後は本当に、多分、オレグより僕の方が練習量が多かったっていう証明ができたんですよ。あの1歩の差なんで。あの着地の1歩の差は練習量の差だと思うんです。実際は見ていないから分からないですけど。でも練習を積んでいないと、ああいう状況では良い演技ができないと思っているんで。でもそれにしても、羽生くんのあの平昌はちょっと説明がつかないです…」
―テレビで見ていた?
「なんか1人だけ、なんていうんですかね…ドラゴンボールでスーパーサイヤ人になったら、黄色い気がブワッてなるじゃないですか? ああいうふうに見えたんですよ、僕、羽生くんのこと。『うわ、なんか1人おかしいのいる』って。ショートプログラムで最初にスーって出てきた時。『あ、これ絶対取る』と思いました。表情ですね。この状況で、この顔できるかって感じで僕は見ていました(笑い)」
―22年北京五輪は?
「4回転アクセルは絶対にやるだろうなって思っていました。北京の場合はもう、メダルを取ろうが取るまいが、あれは羽生結弦にしかできないなっていう。結果以上のものを見せてもらいました。挑戦することに価値があると。彼は羽生結弦というオンリーワン。本当に尊敬できます」
【注1】羽生さんにとって前年11月の右足首負傷から4か月ぶりの復帰戦で、SPは111.68点でトップに立った。フリーは2位の206.17点をマークし、合計317.85点でディック・バトン(米国)以来66年ぶり史上2人目の五輪連覇を達成。「本当に右足が頑張ってくれた」と涙した。冬季五輪通算1000個目の金メダル。
【注2】個人総合決勝で、5種目を終えて0.901点差の2位だった内村さんは、最後の鉄棒で着地でピタリと決め、首位だったオレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)を大逆転し、0.099点差で勝利。五輪での個人総合連覇は68年メキシコ市、72年ミュンヘン両五輪の加藤沢男以来44年ぶり史上4人目の快挙。世界選手権と合わせ、09年から8年連続の個人総合王者となった。
◆内村 航平(うちむら・こうへい)1989年1月3日、福岡・北九州市生まれ。34歳。両親が長崎・諫早市で設立した体操クラブで3歳から競技を始め、夏季五輪での個人総合は2008年北京銀、12年ロンドン、16年リオで連覇。リオでは団体も優勝。五輪は種目別を含め通算7個のメダルを獲得。世界選手権は09年ロンドンから15年グラスゴーまで個人総合6連覇など10個の金含む21個のメダル獲得。162センチ。