スポーツ報知では過去に横綱が誕生した際には、その人となりを取材し、緊急連載の形で紙面に掲載してきた。歴代の横綱の素顔や番付最高位までの過程をアーカイブとして掲載する。大相撲春場所(3月12日初日・エディオンアリーナ大阪)は大関・貴景勝が優勝を果たせば横綱昇進の可能性がある。第74代横綱が誕生すれば6年ぶりに日本出身力士が番付最高位を極めたことになる。今回はその6年前、2017年初場所後に誕生した横綱・稀勢の里昇進時の連載を掲載する。(2017年1月掲載)
新入幕から73場所を要し昭和以降、最も遅いスピードで稀勢の里が横綱昇進を確定させた。相撲に対する誠実な態度。昨年1場所平均11・5勝で年間最多勝を獲得した安定感。入門から15年間で休場が1日しかない丈夫な体。スポーツ報知は3回連載「稀勢の心技体」で新横綱に迫る。
初場所千秋楽の白鵬戦。土俵際まで押し込まれた稀勢の里は左からのすくい投げで14勝目を挙げ宿敵を倒した。窮地を救ったのは入門以来磨き続けた左からの攻めだった。
15歳で飛び込んだ旧鳴戸部屋。早朝5時から時には正午過ぎまで続く猛稽古で、相撲の基本を徹底的にたたき込まれた。特に申し合いでは押し相撲が中心。ひたすら前に出る取り口を徹底することで生命線の左攻めが磨かれたが、偶然の要素も大きかった。
幼少時に両親から右利きに矯正されたが、生まれつきは左利き。右投げのエースだった長山中野球部3年夏の大会、体力温存目的で一塁を守っていたが、セーフティーバントのクロスプレーで交錯した。「優しい性格だから走者をよけようとしたけど、不自然に倒れたんです」と同校野球部監督だった吉田正人さん。自らの100キロ近い体重がのし掛かり右手首じん帯を断裂した。完治まではギプスで右腕を固定。左手を使うことで、入門直前に眠っていた“左の素養”が目覚めた。
入門までは本格的な相撲経験がなく、前に出る取り口が中心。その際に武器となったのが左からのおっつけとのど輪だった。番付を駆け上がると同時に「しっかり『形』を作ることが大事。そうすることで自信につながっていく」と四つ相撲へと進化を遂げるが、契機になったのは故・北の湖理事長の助言だった。
かつて東京・向島の料亭の席上で実技指導を受けた。稀勢の里は「『おい、ちょっと立ってみろ』ってね。恐縮しながら左四つに組ませていただいた」と回想する。特に助言を受けたのは下手を取った左の使い方だ。「まわしをつかんだまま手首をひねれば、相手の体が傾いて右上手も近くなるんだぞ」と実演すると、大関の体はぐらついたという。
優勝24度を成し遂げた昭和の大横綱からの“奥義伝授”で安定感ある相撲が完成した。「いろんな技も精度も磨いていかなければいけない」と語っていた通りの精進が、綱を引き寄せた。=終わり=