ロシアによるウクライナ侵攻が始まって24日で1年を迎える。昨年9月、東京・新橋に避難してきた人たちを受け入れるウクライナ料理店「スマチノーゴ」がオープンした。現在は7人の避難者が働いている。従業員の一人で、同国中部の都市チェルカースィから日本に来たナターリア・グリガロさん(44)は「自分の人生が止まった感じ」と、侵攻によって変わってしまった日常への思いを明かした。(太田 和樹)
ウクライナの国旗の黄と青のラインが片面の壁に描かれている。もう片面は日の丸を思わせる白地に赤いライン。ウクライナ語で「おいしく召し上がれ」という意味の「スマチノーゴ」は、昨年9月7日にオープンした。
現在女性6人、男性1人の計7人の避難者が働いている。1日の大半を店で過ごす彼らは、日本語が話せなくても、サラダを盛りつけるなど自分の居場所を見つけようと奮闘。ただ、労働だけの場ではなく、常連客から差し入れをもらったり、談笑したりと心のよりどころともなっている。
そのうちの一人、ナターリアさんは、ウクライナでは経済学の教師をしていたが、侵攻を受け中学生の娘とともに国外へ。知人の日本人の力添えで、日本に避難してきたという。
8月まではオンラインでウクライナの会社の仕事をしていたが、新たな職を探す中で「スマチノーゴ」の求人募集と出会った。店では主に盛りつけ、配膳、皿洗いなどを担当。生活にも慣れ、日本語も少しずつ覚えてきた。好きな日本語は「どうもありがとうございました」と、笑顔を見せた。
ただ、思いは母国にある。ウクライナに残った夫、大学生の息子、母親とは離ればなれとなった。7時間の時差を乗り越え、毎日メッセージのやりとりや電話を重ねているが、この一年を「今は生活をしているけどロボットみたいな感じ。何も感じない。自分の人生が止まった感じで悪い夢を見ているようだ」と、正直な思いを吐露した。侵攻は終わりが見えない。ナターリアさんは「できることならウクライナに帰りたい。夫や息子、母、友達に会いたい。一緒に暮らしたい」と、涙を流しながら訴えた。
ウクライナに帰らなければならない理由は、もう一つある。「国民的詩人」と言われるタラス・シェフチェンコ(1814~61年)の銅像に母と行くことだ。「母と約束したんです。特別なお母さんの夢。かなえたい」
◆郷土料理を和食と融合
スマチノーゴのオーナーで、デザイナーや俳優業が本業のTAKANEさん=写真=は「避難民の精神的なケアができればという思いで店を始めました」と、オープンのいきさつを語った。「最初は戦争の不安もあっただろうけど表情が硬かったし皆無口だった。でも今は皆笑顔で生き生きしています。表情が大きく変わりました」
店で提供される料理は京都の料理人が監修。ボルシチはカツオだしベースとするなど、ウクライナ料理を和風にアレンジしている。
TAKANEさんは「ウクライナ料理というとクリーム、油っこいものというイメージですが和食との融合でヘルシーに」と話した。