【道の記憶】1961年大会で平地最長距離になってから、花の2区はエース区間になった

中大・吉居大和(右)
中大・吉居大和(右)

 1961年大会で平地(5、6区除く)の最長距離となってから、2区はエース区間となった。平坦でスピード勝負となる前半、上りで底力が試される後半と2つの顔を持つ。その最初の“試練”が13キロ過ぎから1・5キロで20メートル上る「権太坂」だ。今年の大会では中大・吉居大和が駒大・田沢廉に差をつけられ、青学大・近藤幸太郎に追いつかれたが、坂を過ぎてから踏ん張り切り、最後の驚異的なラストスパートにつなげた。

 なお、現在のルートは1937年大会から使用されている新道で、“本家”は北側にある旧東海道の坂だ。1660年頃に整備。江戸後期編さんの「新編武蔵風土記稿」によると、旅人が地元の農民に坂の名前を尋ねたところ、耳が遠かった老人が自らの名前の「権太」と答えた、というのが名前の由来とされる。新道よりも傾斜はきつく、当時、西に向かう人々にとっても最初の難所だった。

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