【箱根への道】豊田桃華主務の支えで立大は歴史を作った 55年ぶり箱根の裏に積極コミュニケーション

立大・上野監督(右から2人目)に労をねぎらわれて笑顔を見せる主務の豊田桃華さん(左はマネジャーの前田萌衣さん、右は豊田彩華さん=カメラ・堺 恒志)
立大・上野監督(右から2人目)に労をねぎらわれて笑顔を見せる主務の豊田桃華さん(左はマネジャーの前田萌衣さん、右は豊田彩華さん=カメラ・堺 恒志)

 第99回箱根駅伝で55年ぶりの出場を果たした立大を支えたのは、女性主務・豊田桃華さん(4年)だ。陸上未経験ながら約2年半、マネジャーのトップとしてチームの箱根へと進む道筋を一番近くでサポート。今後は最上級生のマネジャーとなる妹の彩華さん、前田萌衣さん(ともに3年)らに、チームを託していく。選手と長い期間、苦楽を共にした桃華さんが見た箱根駅伝に迫った。(取材・構成=手島 莉子)

 55年ぶりの箱根路に挑んだ立大の仲間を、一番近くで見守った。桃華さんは運営管理車から力走する選手を見つめ、「本当に歴史が動くというか、変わるんだと思った。この景色を見せてくれて、本当にありがとう」と心から思った。

 神戸高で野球部のマネジャーを務め、「大学でも選手を支えたい」と陸上部の説明会に参加したことが入部のきっかけ。「この人たちと一緒に4年間過ごしたら楽しいだろうな、と最初は気軽な気持ちでした」。駅伝チームのマネジャー部門トップである駅伝主務に就任したのは2年時の箱根駅伝予選会後。チームを支えるのは簡単ではなかった。

 毎日約1時間半かけてグラウンドに通った。当初は「選手が何を思い、どういうサポートを望んでいるか分からなかった」というが、自身の「長所」でもある分け隔てない対応で「とにかくコミュニケーションが大切」と一人一人と対話を重ね、関係を築いた。

 昨年10月の予選会を6位で突破。歓喜に沸いた一方で、本大会の経験者がいないことは不安だった。「頭では何回もシミュレーションしました」と選手情報や当日の動きなどが書かれた大量の資料を持って、上野裕一郎監督(37)と運営管理車に乗車。沿道にいる部員と連絡を取り合い、監督に情報を伝える役割を担った。江戸紫のタスキが途切れることなく18位で大手町に戻った時は、ホッとした気持ちも大きかったという。

 大仕事を振り返り、桃華さんは「本当にやり切ったと、自信を持って言えます」とすがすがしい表情。妹の彩華さんが「姉は本当にタフ。心が折れない」と話す強さも、2年間を務めきった要因の一つだ。第100回大会で飛躍を託された前田さんは「自分たちも頑張らないといけない。出るからには常連校になる」と気を引き締めた。

 上野監督が「チームの核」という任務を見事にこなした桃華さん。卒業後、テレビ局の番組制作に携わる。「『上野裕一郎』でドキュメンタリーをやりたい。それを監督に持ってくるっていうプレゼントがしたいです」。感謝の思いを胸に、新たな夢に走り出す。

昨年の予選会で箱根駅伝への出場が決まり喜ぶ豊田桃華さん(左端)
昨年の予選会で箱根駅伝への出場が決まり喜ぶ豊田桃華さん(左端)

 【取材後記】 楽しい女子会に参加している気分だった。上野監督が「私は聞かないので、好きなことを話して」と笑いながら部屋を出て行ったので、マネジャー3人に“日本一速い監督”のすごさを尋ねてみた。すると「少し子どもっぽいところはあるけど」と顔を見合わせながらも、「感謝」「平等」「人間観察力がすごい」などポンポン出てきた。

 桃華さんは「選手が失敗しても、最後は必ずフォローしてくれる。誰に対しても感謝するし、本当に器が大きい。選手と一緒にお風呂に入ったり、ご飯を食べたり、時間を共有することも大事にしている」と絶賛の言葉が止まらない。立大駅伝チームはまさに「家族」だと感じた。「私たちや、選手のことが大好きだと感じます」。常に寄り添う監督の人柄がチームの温かい雰囲気を生み出している。(手島 莉子)

 ◆豊田 桃華(とよだ・ももか)2000年5月15日、岡山市生まれ。22歳。神戸市立渚中では放送部、神戸高では野球部のマネジャーとして活躍。立大1年時から陸上部男子長距離チームのマネジャーになり、2年時の10月から駅伝主務に就任。

立大・上野監督(右から2人目)に労をねぎらわれて笑顔を見せる主務の豊田桃華さん(左はマネジャーの前田萌衣さん、右は豊田彩華さん=カメラ・堺 恒志)
昨年の予選会で箱根駅伝への出場が決まり喜ぶ豊田桃華さん(左端)
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