武藤敬司、引退試合で内藤哲也に敗れる 試合後に蝶野正洋と番外戦も2連敗…2・21東京ドーム

スポーツ報知
内藤哲也に膝を攻撃される武藤敬司 (カメラ・小泉 洋樹)

◆プロレスリング・ノア「chocoZAP presents KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO―WRESTLING “LAST” LOVE~HOLD OUT~」(21日、東京ドーム)=観衆3万96=

 プロレス界のスーパースター武藤敬司(60)が21日、東京ドームで新日本プロレス「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」の内藤哲也(40)に敗れ引退した。新日本プロレスに入門した1984年10月5日のデビューから全日本プロレス、WRESTLE―1、プロレスリング・ノアと渡り歩き常にトップを驀進したカリスマ。さらに化身のグレート・ムタでは全米でトップヒールを極めるなど世界で絶大な人気を獲得した。プロレス界に一時代を築いた破格のカリスマは、引退試合で武藤は内藤に敗北。さらに同期入門の蝶野正洋と引退番外マッチを敢行。STFで敗れるビッグサプライズを刻み38年4か月のプロレス人生の終止符で壮絶に散った。

  引退試合のオープニングは、同期入門で「闘魂三銃士」の蝶野正洋がリング上で武藤へエールを送った。そして、内藤がリングインするとドームは暗転。デビューからすべてのテーマソングがダイジェストで流れると「HOLD OUT」で武藤がドームに登場した。

 「大武藤コール」の大合唱が奏でられるなか、最後の花道を進んだ武藤。1・22横浜アリーナで両足のハムストリングを肉離れしたが途中で小走りし万全をアピールした。

 午後7時53分。ファイナルマッチのゴングが鳴った。グラウンドで両者が静かな攻防を展開。蝶野の必殺技「STF」で内藤を絞め上げたが場外戦で内藤のエルボーに激しく攻められた。花道で座り込んでしまい背中に助走を付けたドロップキックを浴びた。

 10分を経過すると、内藤に主導権を握られた。場外で人工関節を入れている膝裏を踏みつけられる。それでも武藤は、エプロンの敵をロープ越しにドラゴンスクリューを決めると、連続でドラゴンスクリューで倒し足4の字固めを決めた。

 内藤に返されたが、武藤は、「闘魂三銃士」の同志で亡くなった橋本真也さんの得意技だったケサ切りチョップからのDDTで逆転。さらにノアの創始者となる故三沢光晴さんの必殺技「エメラルドフロウジョン」で攻め込んだ。シャイニングウィザードで倒しカウント2へ追い込んだ。さらにバックブリーカーからトップロープへ昇り人工関節手術後は医師から封印を宣告された「ムーンサルトプレス」へ行こうとしたが、ためらい踏みとどまった。

 低空ドロップキックからのドラゴンスクリュー。そして再び足4の字で内藤を追い込む。ロープに逃げられたが、ドラゴンスクリューからシャイニングウィザードで攻勢に出た。後頭部へシャイニングウィザード。「プロレスLOVE」ポーズからシャイニングウィザードもカウント2で返される。

 25分を経過すると、再びバックブリーカーでトップロープに昇り、「ムーンサルト」を試みるがまたもためらい舞うことはなかった。逆に内藤にドラゴンスクリューからシャイニングウィザードを決められ、足4の字固めで追い込まれた。自らの必殺フルコースを浴びた武藤は激痛で悲鳴をあげた。後頭部へシャイニングウィザードを食らい、今度は顔面にシャイニングウィザードを食い込まされた。

 最後は28分58秒 、内藤の必殺技「デスティーノ」を浴び片エビ固めでカウント3を奪われ武藤は敗れ去った。

 敗れたリングで武藤はマイクを持ち「39年間、続けてきたプロレス今日で引退しますが、武藤敬司のプロレス人生最高に幸せでした」とあいさつし「プロレス界はますます驀進していきます」と絶叫した。

 さらに「エネルギーも残っているしまだ灰にもなってねぇや。やりたいことがひとつあるんだよな。蝶野!オレと戦え!」と放送席でゲスト解説した蝶野を呼び込んだ。蝶野は呼応し杖をついてリングイン。タイガー服部氏が私服姿でレフェリーを務め、黒い上着を脱ぎサングラスを外した蝶野と武藤は対峙するとゴングが鳴った。ロックアップで二人は歴史を回想するように組み合うと蝶野がシャイニングヤクザキックからSTFで絞め、武藤はギブアップした。 

 デビュー直後から類いまれなプロレスセンスを絶賛され、2年目には米国へ海外修業へ出た。プロレスの本場でさらに才能を磨き、凱旋帰国した86年10月からは「スペースローンウルフ」のキャッチフレーズでアントニオ猪木、藤波辰爾らと共に瞬く間に新日本プロレスのメインイベンターとなった。

 89年4月には米国の「WCW」でペイントレスラーの「グレート・ムタ」に変身。正統派の「武藤敬司」とは真逆のキャラクターとなる化身は、毒霧と反則技を駆使するヒールとして全米でトップを極めた。

 90年4月の2度目の凱旋帰国後は、同期入門の橋本真也、蝶野正洋と結成した「闘魂三銃士」でドーム興行を成功させた90年代の新日本プロレスを隆盛に導いた。さらに95年10月9日は東京ドームで格闘技スタイルで従来のプロレスを否定していた「UWFインターナショナル」の高田延彦をプロレスの古典的技「足4の字固め」で破り純プロレスの牙城を守った。

 その後、日米で絶大な人気を獲得したユニット「nWo」に加入するなど、新日本の屋台骨を支える揺るぎないトップレスラーの地位を守ったが、2002年1月に格闘技路線を推進する団体オーナーの猪木の方針に反発し全日本プロレスへ移籍する。

 ライバル団体へ移る衝撃は「事件」としてプロレス界を騒然とさせたが、全日本の社長に就任し、格闘技がブームでプロレス人気が下降していた当時に「プロレスLOVE」を叫び、プロレスのすばらしさをリング上で表現し続けてきた。2013年5月には団体オーナーとの方向性の違いで全日本を退団。新団体「WRESTLE―1」を設立するが、24歳の時に最初に痛め以来、悩まされ続けた両膝のケガが悪化。私生活では車椅子で移動を余儀なくされるなど、リングから遠ざかることが多くなった。18年3月に両膝の人工関節設置手術を行い、58歳で「プロレスリング・ノア」に入団。21年2月12日には日本武道館で潮崎豪を破りGHCヘビー級王座を奪取。新日本の「IWGPヘビー」、全日本の「三冠へビー」に続くメジャー三団体の王座を奪取する「グランドスラム」達成の偉業を成し遂げた。

 日米でいくつもの団体を移り「昭和」、「平成」、「令和」と時代を越えながら常に「今」を追及し、最先端を走り続けたトップレスラー。01年に史上初の「六冠王」となるなど数多くのタイトルを腰に巻き日米で数々の名勝負という名の「作品」を残した破格の天才だったが昨年6月に股関節の負傷で引退を決断。試合直前には両足のハムストリングを肉離れする窮地に追い込まれたが、内藤と劇的な「作品」を描き東京ドームで終止符を打った。

 ◆武藤 敬司(むとう・けいじ)1962年12月23日、山梨県富士吉田市生まれ。60歳。1984年4月に新日本プロレス入門。同年10月5日、埼玉・越谷市立体育館での蝶野正洋戦でデビュー。新日本時代は橋本真也、蝶野正洋との闘魂三銃士で90年代の隆盛を導く。89年4月には米国の団体「WCW」で化身のグレート・ムタとなり日米でトップヒールを極めた。2002年2月に全日本プロレス移籍し社長を務め、同団体を対談直後の13年7月にWRESTLE―1を設立。20年4月1日のWRESTLE―1活動休止後は21年2月にプロレスリング・ノアに入団した。新日本のIWGP、IWGPタッグ、全日本の三冠ヘビー、世界タッグ、ノアのGHCヘビー、GHCタッグと史上2人目のメジャー3団体のシングル&タッグを完全制覇する偉業を達成。得意技はムーンサルトプレス、シャイニング・ウィザード、足4の字固め。家族は妻と一男一女。身長188センチ、体重110キロ。

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