別府大分毎日マラソン(5日)で、青学大の横田俊吾(4年)が2時間7分47秒で走破し、日本人2位の全体4位と大健闘した。2003年3月のびわ湖毎日マラソンで中大4年の藤原正和(現中大監督)がマークした従来の日本学生記録(2時間8分12秒)を20年ぶりに25秒更新。2024年パリ五輪マラソン日本代表選考会(MGC、10月15日・東京)の出場権獲得も獲得した。多くの試練を乗り越えて、その才能を開花させた横田俊吾という男を改めて詳しく紹介したい。
青学大の練習や合宿に取材に行くと、横田は、いつも全体練習に参加していた。長距離走という競技は、故障と隣り合わせ。1年のうち何度かは、全体練習から外れて別メニューで調整する選手が多い中で、横田は離脱することはなかった。原晋監督は「4年間、練習を地道に積んできた。だから強くなった」と高く評価する。
練習の虫。あるいは練習の鬼。その姿勢は、2020年の別府大分毎日マラソンで2時間8分30秒の日本学生歴代2位(当時)をマークした3学年先輩の吉田祐也(現GMOインターネットグループ)に通じる。2人とも、4年目にして箱根駅伝に初出場を果たし、1か月後のマラソンで結果を残した。
横田は、これまで多くの試練を乗り越えてきた。
卓球のスマッシュのような大きな腕振りが特徴。陸上ファンの間で「よこたっきゅう」と呼ばれている。今では、すっかり明るいネタとして扱われているが、中学時代には、その特徴的なフォームに泣いたことがある。
2015年、わかやま国体の少年男子Bの3000メートル。当時、新潟・五泉山王中3年の横田は1学年上の高校1年に交じり、3番目でゴール。しかし、大きな腕振りが他の選手を妨害したとして失格に。日本中学歴代4位(当時)に相当する8分23秒94の好記録は幻となった。「一生懸命に走ったのに本当に悲しかった。もちろん、妨害したつもりはありません」と中学時代のつらい思い出を振り返る。
その波乱万丈だった中学時代からの盟友が青学大の同期の岸本大紀(4年)。同じ新潟県出身で全国トップレベルで競い合った。横田は福島の学法石川高へ進み、岸本は地元の三条高に進学。「青学大で岸本とチームメートになったことは不思議な感じ」と笑う。
ただ、1年時は挫折を味わった。2020年の箱根駅伝で岸本は1年生ながら2区を任され、チームを首位に導いた。優勝の立役者となった岸本に対し、横田は岸本の15キロ地点の給水係だった。「1年の時、優勝はうれしかったけど、岸本のすごい走りを間近で見て劣等感しかなかった」と正直に明かす。
箱根駅伝では2年時に9区に登録されたが、当日変更で出番なし。3年時は補欠登録で、そのまま出番はなかった。それでも、競技への意欲を全く落とすことなく、4年目を迎え、副将に就任。競技力も大幅にアップし、チームの主力に成長した。そして、4年目で初めて箱根駅伝出走を勝ち取った。
大会前の壮行会で横田は「優勝して原監督とキャプテンの宮坂を胴上げしたい」と明言。登録メンバーから外れながらもチームをもり立てた主将の宮坂大器(4年)への感謝の思いを明かした。しかし、結果は3位にとどまり、連覇を逃した。自身も3区8位と満足する結果ではなかった。
それから1か月。箱根駅伝終了後に1週間だけ体を休めた後、地道に練習を続け、マラソン日本学生新記録を偉業を達成した。「箱根駅伝では良い結果を残せなかったので、後輩たちに『やってやったぞ』という姿を見せたくて意地で走りました」と充実した笑顔で話した。
陸上ファンの間で「よこたっきゅう」の愛称が広まった頃、横田に卓球のラケットを持った写真撮影という依頼をした。記者の「無茶ぶり」に「いいですよ!」と笑いながら快くポーズを決めてくれた。
今春の卒業後は実業団のJR東日本に進む。3月に故郷の新潟の大会にゲストランナーとして参加予定だが、真剣勝負のレースでは、この日が最後の青学大ユニホームだった。青学大で努力に努力を重ねた男が、青学大のラストランで強烈な「スマッシュ」を決めた。(箱根駅伝担当記者・竹内 達朗)
◆横田 俊吾(よこた・しゅんご)2000年4月22日、新潟・村松町(現五泉市)生まれ。22歳。山王中1年から陸上を始め、3年時に全国大会3000メートル2位。福島・学法石川高に進み、3年連続で全国高校駅伝4区を走り、1年17位、2年4位、3年2位(日本人トップ)。19年に青学大教育人間科学部入学。自己ベストは5000メートル13分46秒81、1万メートル28分24秒78、ハーフマラソン1時間2分36秒。趣味は卓球ではなく野球観戦。178センチ、57キロ。