常葉大菊川がセンバツ高校野球大会(3月18日開幕、甲子園)に出場する。野球部、選手を紹介する連載の第1回は石岡諒哉監督(33)。同校で捕手として07年のセンバツ優勝を経験。指揮官として初めて聖地の土を踏む。指導のベースとなっているのが、苦悩を味わった7年間の社会人野球時代だ。「学んだことしかない」と貴重な経験を財産に、自身が選手時代に栄冠をつかんだ07年以来16年ぶり日本一を目指す。
プレーヤーとして甲子園日本一を知る石岡監督は「出るからには優勝」と目標をキッパリ言い切る。V捕手の次はV監督と期待が高まるが「選手で優勝したから監督でも優勝したいとかはない。ただ当時は色々な人が喜んでくれた記憶は今でも覚えている。選手にもその思いをしてほしい」。ナインの最高の笑顔のために戦う。
07年センバツでは、DeNAでプレーする左腕・田中健二朗(33)の女房役として攻守で大活躍。強肩&強気なリードで初優勝へと導いた。準々決勝の大阪桐蔭戦(2〇1)では、主砲の中田翔(33)=巨人=を徹底的な内角攻めで3打数無安打に抑えた。
大阪桐蔭戦の試合当日は、朝の4時まで中田の映像をチェック。「どこに投げても打たれると思った。最後はエース・田中の一番自信のある内角で『いってやろうぜ』という感じ。ある意味開き直りです(笑い)」。高校通算15本塁打と輝いた高校時代とは対照的に、7年間の社会人野球では苦悩を味わった。
優勝捕手から社会人野球を経験しプロ野球選手へ。描いていた青写真が崩れ始めた。08年に都市対抗で最多優勝12回を誇る名門・ENEOSに入社した。ライバルと比較しても、肩の強さはチームでもピカイチだった。それでもワンランク上の野球では肩の強さに加えて、ベースの上に「ストライク送球」が求められる。少しボールがそれるとアウトが取れない。「ベースの上に絶対に投げないといけないという思いでやっていたら、イップスになりました。ピッチャーにもまともにボールを返せなかった」。400球以上の送球練習を繰り返すことによって、徐々に肩も悲鳴を上げた。
自慢の強肩が失われ「最後はグラウンドに入るのも怖かった」。精神的にボロボロとなり「甲子園なんか優勝しなきゃよかった」と考えた時もあった。それでも新日鉄住金東海REX(現日本製鉄東海REX)で出場したオープン戦の最終戦では3安打を放った。
苦しかった時の経験こそが「指導者のベース」だ。「(社会人7年間は)学んだことしかない。指導者として成功体験よりも苦しかった経験を伝えている。ENEOSでは日本一を経験させてもらった。一流のチームで野球に取り組む姿勢や野球人としてグラウンドにふさわしい人間になるために、選手には礼儀や言葉遣いなどを一番に教えている」
グラウンドにふさわしい人間になるため、自らがお手本となる。早朝5時から週4日のペースでウェートトレーニングに励む。グラウンドではバッティングピッチャー、ノッカー、選手に交ざり汗を流す。「選手よりもベンチプレスは上がりますよ」と微笑む。
紫紺の優勝旗を手にした日から16年ぶり聖地へ。苦楽を経験してきた指揮官が「必死になってアウトを取って1点を取る。アマチュアらしくやるだけ」。ナインと共にいざ甲子園へと乗り込む。(森智宏)
◆石岡諒哉(いしおか・りょうや)1989年5月3日、浜松市生まれ。33歳。有玉小1年から浜松ジャガーズで野球を始め、積志中から常葉菊川(現常葉大菊川)へ進学。高校では2年秋から捕手でレギュラーとなり、3年時のセンバツで優勝。夏は4強。卒業後は新日本石油ENEOS(現ENEOS)、新日鉄住金東海REX(現日本製鉄東海REX)でプレーし、都市対抗に4度出場した。20年から常葉大菊川の監督に就任。175センチ、84キロ。右投右打。血液型O。