硬式野球部がなかった城東(徳島)に初の甲子園切符は? 27年前、生徒の情熱で野球部設立 21世紀枠候補

スポーツ報知
21世紀枠の四国地区候補の城東

 第95回センバツ(3月18日開幕)の出場36校を決める選考委員会が27日、開催される。戦力以外の特色を加味する21世紀枠は3校で、四国地区の候補は城東(徳島)。県有数の進学校で、男子部員12人しかいないが、昨秋県大会で4位になった。センバツに選ばれれば、春夏通じて初の甲子園。その野球部設立には、一人の生徒の情熱があった。

 学校創立122年目で悲願の初の甲子園―。その表現は、実は少しあてはまらない。城東の創立は明治時代の1902年。だが、硬式野球部の創部は大正、昭和を経た平成時代の1996年。長く、甲子園を目指すことすらない高校だった。

 「城東…」。94年の春、一人の中学生が合格発表の場に立ちすくんだ。平田誠人さんは、生光学園中の軟式野球部で、後に日本ハムの抑えで活躍する武田久と同級生。中堅手兼控え投手として四国大会で優勝もした。もちろん、高校では甲子園を目指すつもりだった。だが、当時の徳島県の高校入試は総合選抜制度といい、特定の高校を受験するのではなく、試験の成績に応じて高校を振り分けられるもの。硬式野球部のない城東は、平田さんが望んでいない高校だった。

 仕方なく、軟式野球部に入ったものの、実が入らない。「あの頃はやさぐれていました(苦笑)」。入学から数か月後、部員の同級生らに声をかけた。硬式をやりたくないか? 数人が賛同してくれた。校長室の扉をたたき、直談判した。だが、グラウンドの狭さ、経費の問題などで、却下された。さらに、友達との軋轢(あつれき)も生じた。県屈指の進学校。学業優先で部活は二の次、という部員も多かった。「勝手に行動している、という目で見られたりした」。平田さんは夢のない高校生活を過ごした。

 翌年、校長が替わったのが転機になった。硬式野球を欲している生徒たちがいる、という声が届いた。河川敷の運動場を借りられるように関係各所に動いてくれて、平田さんが2年の冬、硬式野球部の発足が決まった。

 3年春に創部。軟式からの移籍や新入生の入部などで20人近くが集まった。運動場の草抜きから始まったグラウンド整備。そして用具集め。「監督として来てくれた天羽(博昭)先生が東奔西走してくれました。ポケットマネーもつかってくれたんだと思います。よく『破産するわ』って言ってました」。学校創立94年目、硬式野球部をゼロから創り上げていった。

 平田さんは主将・エースで夏の県大会に初出場。見事、1勝を挙げた。

 「甲子園という夢を目指すことができた。夢を見ることの大切さ、いろんな人への感謝。硬式の活動は短期間でしたけど、多くのことを学ばせてもらいました」

 大学でも野球を続けた平田さんは44歳の現在、大手家電メーカーに勤務し、岡山で暮らす。彼らがまいた種が、27年を経て、甲子園出場という花を咲かすかもしれない。今の野球部も、狭いグラウンドでできる練習を考案し、スポーツ経験のなかった女子マネジャーが部員不足を補うためにノッカーを務める。進学校でも甲子園を目指すという情熱が今も息づいている。(井之川 昇平)

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