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第99回箱根駅伝で欠場した松山和希と最下位を走った石田洸介 東洋大ダブルエースが100回大会でリベンジ誓う

埼玉・川越市郊外の田んぼ道で必死に走る東洋大のエース松山和希(左から3人目、左端は酒井監督)
埼玉・川越市郊外の田んぼ道で必死に走る東洋大のエース松山和希(左から3人目、左端は酒井監督)

 第99回箱根駅伝(1月2、3日)で東洋大は10位だった。継続中として最長の18年連続のシード権(10位以内)を死守したが、22年度のシーズン当初、優勝を目標に掲げていたチームにとって満足できる結果ではない。特にエース松山和希(3年)は体調不良で登録メンバーから外れ、松山の代わりに2区を走った石田洸介(2年)は一時、最下位を走るほど苦戦した。挫折を経験したダブルエースを中心に第100回大会で巻き返しを期す。

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 埼玉・川越市郊外の田んぼ道。熱狂あふれる箱根路とは対照的に静寂に包まれたロードで、東洋大のエース松山は必死の形相で走っていた。「花の2区」で1年時4位、2年時5位といずれも好走したが、今年は体調不良で登録メンバーから外れた。第99回箱根駅伝から約2週間。体調は回復し、来年のラストチャンスに向けて本格的な練習を再開した。

 松山は昨年2月にハーフマラソンで日本人学生歴代2位の1時間43秒と快走し、3月の日本学生ハーフマラソンでも3位の好結果を残した。大学3年目に向けて絶好のスタートを切り、夏合宿でも順調に練習を重ねていた。

 しかし、8月下旬、アクシデントが起きた。自転車での移動中に負傷。約3か月、まともに走ることはできなかった。12月に、ようやく本格的な練習を再開し、ぎりぎりで箱根駅伝に間に合う見通しが立った時、インフルエンザに感染。結局、16人の登録メンバーに入ることができなかった。

 3年目の箱根駅伝では2区15キロ地点の給水係を務めた。自身の代わりに2区を走った石田が給水ポイントに到達する約3分前、駒大の田沢廉(4年)、中大の吉居大和(3年)、青学大の近藤幸太郎(4年)の激走を沿道で目の当たりにした。「あの戦いに自分がいなかったことが悔しかった。チームにも迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ないです」と松山は厳しい表情で振り返った。

 昨年12月10日に第99回大会の登録メンバーが外れた時点で、第100回大会に向けた戦いを始めた。酒井俊幸監督(46)に「最後の箱根駅伝ではもう一度、2区を走り、相沢晃(現旭化成)の記録(1時間5分57秒)を超えよう」とゲキを飛ばされた松山は、福島・学法石川高、東洋大を通じての大先輩超えに挑むことを決意。給水係として吉居の力走を目撃した後、目標をさらに明確に設定した。

 「今回、吉居君は1時間6分22秒で区間賞を獲得しました。来年、吉居君は相沢さんの記録を超える可能性もあります。そうであるならば、その吉居君に勝たなければなりません」と、同学年の吉居に対してライバル意識を隠すことなく話した。

 駒大の絶対エースに対する思いも強い。「田沢さんは強い選手です。田沢さんが卒業する前にもう一度、2区で勝負したかった」としみじみと話す。前々回は松山が1時間7分15秒で区間4位、田沢が1時間7分27秒で区間7位。前回は田沢が1時間6分13秒で区間賞、松山が1時間7分2秒で区間5位。1勝1敗だが、松山はそうは思っていない。「今回は僕の不戦敗。1勝2敗です」と潔く話した。

 2区へのこだわりは強い。「一度も区間賞を獲得したことがないので、最後は取りたい。それがチームのためになります」ときっぱり話した。

 もうひとりのエース石田も今季の挫折をバネに来季の飛躍を誓う。

 5000メートルの元日本高校記録保持者の石田は1年時に出雲駅伝5区、全日本大学駅伝4区で区間賞を獲得したが、箱根駅伝では出番なしに終わった。初の箱根路では欠場の松山に代わって2区を駆けたが、2時間10分4秒で区間19位に終わった。17位でタスキを受けて、20キロ付近では最下位まで転落した。

 「最下位という状況は分かりませんでした。それどころではなかった。スタートの動き出しから良くなかった。プレッシャーもありました。箱根駅伝は出雲、全日本とはまるで違いました。タイム、区間順位ともに話になりません」と厳しく自己評価した。

 15キロ地点では松山から給水ボトルを手渡されながら「お前ならできる!」「やるしかない!」と激励を受けたが、ペースは上がらず。戸塚中継所前で大東大のワンジル(2年)を抜き、19位でタスキをつなぐことが精いっぱいだった。

 来年の箱根駅伝に向けて、すでにリベンジのイメージを膨らませている。「やはり、東洋大の2区は松山さんです。僕は松山さんを生かすための走りをしてチームに貢献したいと思っています」と石田は1区などの出陣を熱望した。

 22日の全国都道府県駅伝では松山は福島、石田は群馬でメンバー入りしたが、松山は7区39位、石田は出番なしに終わった。箱根駅伝からの悪い流れは、完全に断ち切れていない。

 最強ツインズの設楽啓太・悠太兄弟、東京五輪マラソン代表の服部勇馬、同1万メートル代表の相沢晃。東洋大エースの系譜を継ぐランナーが松山と石田だ。2人の活躍こそが東洋大復権の絶対条件だ。

第99回大会で苦しんだ東洋大の松山和希(左)と石田洸介は第100回大会でのリベンジを誓った
第99回大会で苦しんだ東洋大の松山和希(左)と石田洸介は第100回大会でのリベンジを誓った

 松山は学生ラストシーズンに向けて覚悟を示す。「昨年、シーズン前半は調子良く、夏合宿も順調でした。自転車でケガをしてしまったのは、心のどこかに油断があったからもしれません。今年は練習は当然で、練習以外でも、今まで以上に集中力を持って取り組みます」と前を見据えて話した。

 22年度はシーズン当初「全日本大学駅伝と箱根駅伝の優勝」をチーム目標に掲げたが、新年度のチーム目標は慎重に設定する予定だ。箱根駅伝では初優勝を果たした2009年以降、19年まで11年連続で3位以内で優勝4回という抜群の成績を残したが、最近の4年は10位、3位、4位、10位と下降気味。酒井監督は「結局、今季は出雲駅伝9位、全日本大学駅伝8位、箱根駅伝10位でした。この成績では来季のチーム目標は簡単に『優勝』とは言えません。まずは足元を固めて、チーム全員で目標を決めていきたい」と冷静に話した。

 第99回箱根駅伝で、東洋大は確かに苦しんだが、それでも、シード権は18年連続で死守。次回大会でリベンジするチャンスを得た。

 松山、九嶋恵舜(3年)ら期待されながら出走しなかった選手も、9区4位の梅崎蓮(2年)、3区9位の小林亮太(2年)ら好走した選手も、誰もいない田んぼ道で地道に走り込んでいる。第100回大会で大観衆の喝采を浴びるための戦いは始まっている。(竹内 達朗)

 ◆松山 和希(まつやま・かずき)2001年12月4日、福島・大田原市生まれ。21歳。大田原中3年時に全国都道府県男子駅伝6区で区間新記録(当時)をマーク。福島・学法石川高では3年連続で全国高校駅伝を走り、1年5区3位、2年3区4位、3年1区2位と抜群の成績を残した。20年に東洋大に入学。今年の3月の日本学生ハーフマラソン3位。自己ベスト記録は5000メートル13分48秒80、1万メートル28分42秒17、ハーフマラソン1時間43秒(日本人学生歴代2位)。箱根駅伝は1年2区4位、2年2区5位。全日本大学駅伝は1年2区7位、2年7区13位。出雲駅伝は出場なし。168センチ、50キロ。

 ◆石田 洸介(いしだ・こうすけ)2002年8月12日、福岡・遠賀町生まれ。20歳。浅木小5年から本格的に陸上を始め、浅川中3年時に1500メートル3分49秒72、3000メートル8分17秒84、5000メートル14分32秒44で中学日本記録をマーク(1500メートル、3000メートルは当時)。群馬・東農大二高へ進み、3年時の7月に5000メートルで16年ぶりの高校新記録(当時)となる13分36秒89をマーク。同年9月には13分34秒74とさらに新記録(当時)をマーク。21年、東洋大に入学。箱根駅伝は2年2区19位。全日本大学駅伝は1年4区1位、2年2区9位。出雲駅伝は1年5区1位、2年3区9位。173センチ、59キロ。

埼玉・川越市郊外の田んぼ道で必死に走る東洋大のエース松山和希(左から3人目、左端は酒井監督)
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