不惑のホームランバッター門田博光 故障前はプロ野球を代表する強肩右翼手だった

スポーツ報知
南海時代の門田博光

 1970年代半ばのプロ野球を特集した雑誌に、巨人、東映で5度日本一に輝き、歴代4位の通算1586勝した名将・水原茂が当時のベストナインを選出。右翼手として選んだのは、門田博光だった。強打だけでなく強肩をも称賛したものだった。

 1979年キャンプで、右足アキレス腱断裂をしてその後はDHに専念。現在なら「ミスターDH」のニックネームが付いていただろう。40代になってからメジャー記録をも超える133本塁打をたたき出して〝不惑の本塁打王〟のキャッチフレーズが付いた。だが、その昔は強肩外野手としてパ・リーグの三塁コーチに当時、最も警戒された外野手だった。

 年間最多補殺が71年=15、73年=14、77年=11の3度あるなど2ケタ補殺を通算5度マーク。外野手出場1085試合で91補殺。1補殺当たり11・9試合は、原田督三の9・5試合、堀井数男の10・7試合、呉征昌の11・4に次ぐ数字(外野手1000試合以上)だ。上位3人は外野手が浅く守っていた1950年代までの時代のものだが、本塁打が多くなって守備位置が深くなった1960年代以降では群を抜いている。

 日本プロ野球の外野手最多補殺記録は山内一弘の174(2150試合で12・4試合に1補殺)。2位の154補殺は山本浩二(2271試合で14・7試合に1補殺)だった。アキレス腱断裂をきっかけに一回りも二回りも素晴らしい打者に生まれかわった門田。もし、故障無く外野手として出場し続けていたら、通算最多補殺記録に迫っていたのではなかろうか。=敬称略=

蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)

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