【評伝】門田博光さん、形ではなく「音」を求め力の限り強振「ビュンやブンではなく真空状態で回ったような音」

スポーツ報知
89年8月、通算500号を達成する本塁打を放つ門田

 プロ野球歴代3位の通算567本塁打を記録し、南海、オリックスなどで活躍した門田博光(かどた・ひろみつ)氏が死去していたことが24日、分かった。74歳だった。かねて病気療養していたが、23日に予定されていた治療に現れず、病院から連絡を受けた警察が自宅で倒れているのを発見した。アキレスけん断裂の大けがを克服して40歳でプロ野球記録の44本塁打を放った左の大砲。44歳まで現役を続け、本塁打王3度、打点王2度、歴代4位の通算2566安打をマークするなど輝かしい野球人生だった。

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 【評伝】

 豪快なフルスイングで放り込み、ゆっくりダイヤモンドを一周する。ホームランこそ門田のアイデンティティーの証明だった。南海時代の1988年には40歳で44本塁打、125打点の2冠に輝き「不惑の大砲」と呼ばれた。通算567本のうち、133本を40代で放った。

 形は二の次だった。体をひねり、力の限り強振。「スイングスピード=飛距離」を追い求めた。春季キャンプでは深夜2時に起き、暗闇で3時まで素振り。引退まで続けたルーチンだ。手のひらのマメは何度も破れた。最初は体力が持たず、開幕1か月の4月までしか使えなかった1キロの重いバット。ひたすら練習を重ねて1年に1か月ずつ延ばし、7年かけて武器にした。

 鏡を見ず「音」を探した。「気が狂うくらいバットを振っていると、音が変わる時がある。ビュンやブンでなく、真空状態で回ったような言葉に表せない音。初めて聞いた時は鳥肌が出た。バットのぬくもりと手が合体するような感覚で、それでいて周りの人からそのスイングは速くは見えない」。人知れず重ねた努力で、たどり着いた境地だ。

 79年のキャンプで右足アキレスけんを断絶してからは、ますますフルスイングに磨きをかけた。「高校時代にホームランを1本も打てなかった補欠の器」と自らを称しながら、「気が狂うほど」の素振りをして、44歳まで現役を続けた。2006年の野球殿堂入りでは「最高の賞を頂けて舞い上がっている感じです」と目を潤ませた。

 元来、人見知りで「チームメートと話したことない」とうそぶく。オフの一人旅が趣味だった。05年に脳梗塞で倒れた後、野球の解説業を離れた。週4回透析治療に通いながら、人里離れた山中で静かに暮らしていた。

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