古舘伊知郎を支え続けた「金剛力士像」とは…「トーキングブルースをつくった男」著者・元永知宏さんに聞く

スポーツ報知
「トーキングブルースをつくった男」を上梓した元永知宏さん。スポーツが主戦場だけに、新境地とも言える一冊だ(カメラ・加藤弘士)

 スポーツライター・元永知宏さん(54)の新著「トーキングブルースをつくった男」(河出書房新社・税込み1980円)が話題になっている。フリーアナウンサー・古舘伊知郎さんがマイク1本で観客に挑むトークライブ「トーキングブルース」はいかにして生まれたのか。その舞台裏に迫る渾身のノンフィクションだ。スポーツが主戦場の元永さんにとっては新境地とも言える一冊。288ページに込めた想いを聞いた。(加藤 弘士)

 立教大野球部4年だった89年秋、23年ぶりのリーグ優勝を経験したことでも知られる元永さん。これまでの“守備範囲”は野球を中心としたスポーツだったはずだ。今回、このテーマに着手した理由は何だろうか。

 「古舘さんが立教大の客員教授に就任したとき、授業用の副読本のようなものがあった方がいいとなって、立教OBの関係者を通じてお話があったんです。古舘さんとはそこで初めて会って、打ち合わせをして。その後は立教大のサテライトキャンパスがある陸前高田での講演にも一緒に行きました」

 古舘さんとのファーストコンタクトを、こう表現した。

 「非常に用心深い、慎重な方だなと思いました。なかなか心を開いてくれそうにない方だなというのが第一印象です。今もそれは変わっていません。僕が子どもの頃には饒舌で型破りな実況をしていて、その後の司会者としては縦横無尽に気難しい大御所の方々を巧みに操る。一方で同世代の石橋貴明さんとのトークでは、砕けた一面を見せる…まさに古舘さんの言葉で言えば『八面六臂の大活躍』をされている方ですが、ただこの人は何者なんだろう、本当はどんな人なんだろうという興味は、ずっとあったんです」

 タイトルにも記された「トーキングブルース」は「トークでブルースを奏でる」がコンセプト。古舘さんがステージに1人きり、マイク1本でしゃべりを繰り広げる、自らのライフワークだ。第1回公演が行われたのは1988年。昨年12月3日には有楽町のよみうりホールで行われ、満員の聴衆が情感あふれる喋りに聴き入った。

 「僕は大学卒業後、イベント情報誌『ぴあ』の編集者としてスポーツ担当をしていたので、隣は演劇担当だったから『トーキングブルース』の存在は知っていました。『古舘さんってライブもやるんだ。多面的な方なんだな』と。そして数年前、『古舘プロジェクト』から、古舘さんをずっと支えてきた佐藤孝会長の言葉を残したいという思いを受けたんです。まずは会長のお話を聞きましょう、というところから始まりました」

 本書で描かれる古舘さんと佐藤さんは、経歴から正反対だ。古舘さんは裕福な家庭で育ち、高校からエスカレーターで立教大に進学。難関を突破してキー局の局アナになった。一方、6歳年上の佐藤さんは福島県の炭鉱町に生まれ、幼き頃には極貧生活も経験。高校卒業後に三越へ入社し、商売のイロハを学びながらも若くして退社。その後は事業の失敗から借金に苦しむなど、波乱万丈の日々を送ってきた。水と油のような二人が出会い、互いに刺激し合っていくという奇跡が、鮮やかな筆致で描かれていく。

 「最初は佐藤さんも古舘さんも、お互いに対しての愛情はなくて、遠目で見ていたと思う。途中でそれぞれが『何者なんだろう?』と興味を抱いたのでしょう。古舘さんは1984年6月にテレビ朝日を退社して、7人の仲間で『古舘プロジェクト』を設立し、フリーに転身するんですが、そこからのスピード出世が異常だった。古舘さんにとって、それは望んでいたことではあるけれども、一方で世の中にチヤホヤされる怖さも感じていたのでしょう。自分のことをいったい誰が一番に考えてくれるのかと思った時、それが佐藤さんであると、どこかのタイミングで気づいたんでしょうね」

 順風満帆だった古舘さんだったが、F1の中継で米国に滞在中だった1991年3月、つらい悲しみに襲われる。6歳年上で、最愛の姉であった恵美子さんの死だ。恵美子さんのがんとの闘病が続く中、佐藤さんは古舘さんの想いを全力で受け止めた。古舘さんはこみ上げる悲しみを言葉に変え、姉への思いを半年後の「トーキングブルース」にぶつけた。鬼気迫る喋りはまさにブルースとなり、観客の心を揺さぶった。

 「古舘さんにとって、それまでに経験したことがない、自らが押しつぶされそうな苦しさ、痛みだったと思うんです。そんな時、佐藤さんには古舘さんの思いを受け止めるだけの懐の深さがあったし、悲しみの経験があった。唯一、心を開ける存在だったと思います。佐藤さんへの信頼がそこでさらに深まった。そして、お姉さんの死をステージに昇華させたというのは、古舘さんにとっても大きなターニングポイントになりましたね」

 古舘さんはそんな佐藤さんのことを「金剛力士像」と評する。元永さんが取材を通じて感じた佐藤さんとは、どんな人物なのか。

 「会う前には、いろんな方から『とにかく怖いエピソードには事欠かない方だ』と聞いていました。取材が始まったら、佐藤さんは4時間、5時間も淡々と話をされる。その8割は古舘さんも一緒でしたから、普通のインタビューとは違う、異質な時間でしたよね(笑)。その時の興味は、みんなが『怖い』という、怖さの種類とその根源は何なんだろうか、というものでした。それを気にしながら、ずっとお話を聞いていましたね。で、その怖さの種類とは、おそらく『本質的なものを見抜かれてしまう』、その怖さだと思うんです」

 本書を読めば分かる。泣く子も黙る二人の異才に対しても、元永さんは遠慮なく湧き上がる疑問をぶつけ、その本質に迫っていく。

 「最初から全てにおいて、包み隠さずお話いただきました。芸能専門のライターさんからしたら『聞くこと自体が無礼だ』となるかもしれませんが、僕は忖度する必要は全くないので。古舘さんにとって耳の痛い話も描いていると思います」

 昨年12月3日の有楽町よみうりホール。古舘さんは「言葉」をテーマにワンナイトの公演を行い、健在の喋りを見せつけた。客席の元永さんの目に、その姿はどう映ったのだろうか。

 「言葉は古舘さんにとって最大の武器ではあるけれども、それが厄介なのは時代とともに移り変わっていくこと。そう一番理解されているのも古舘さんだと思う。落語家なら、老いや衰えも含めて見せていくことが芸になると思うんですが、古舘さんはちょっと違ったスタンスですからね」

 そして愛情たっぷりに、こんなエールを送った。

 「今後は老いという現実を背負ったまま、理想に向かってもがき、あがく天才の姿を見たいと思います。そんなことをできるのは、古舘伊知郎しかいません。それが30数年前から『トーキングブルース』をやっている人の役割なんじゃないかな、と思うんですよね。ここまで言葉に対して真剣に考えている人は、他にいませんから」

 ◆元永 知宏(もとなが・ともひろ)1968年1月28日、愛媛・大洲市生まれ。54歳。大洲高では外野手、捕手。一般受験で立大に進学。野球部では4年だった89年秋に23年ぶりのリーグ優勝を経験。卒業後はぴあ、KADOKAWAなどの出版社勤務を経て、フリーランスに。主な著書には「荒木大輔のいた1980年の甲子園」(集英社)、「補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?」(ぴあ)、「近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る」(集英社)など。

 

 【取材後記】

 私は1974年生まれ。幼稚園年長時代からプロレスに魅了され、「金曜8時」の古舘節に憧れた。あまりに古舘さんが眩しくて、小3の冬にはお年玉で著書「過激でどーもすいません」を買ったほどだ。学校に持っていくと担任に「内容が下品だ。こんな本を読むとろくな大人にならない」と怒られた。ますますこの一冊が好きになり、繰り返し読んで形成されたのが今の自分だ。担任の指摘は正しかった。48歳。ろくな大人になっていない。古舘さんには製造物責任を取って頂きたい。

 1993年4月に大学進学で上京後は毎年、青山円形劇場へ「トーキングブルース」を聞きに行った。ナマで聴く古舘さんの言葉には、テレビとはひと味違い、生きることの喜怒哀楽…中でも「哀しみ」がにじんでいた。なぜ、そう聞こえるのだろう。そんな疑問を抱いてから30年近くが経ち、このたび本書を読んで、その理由が分かった。単なる公演ではなかったのだ。

 「トーキングブルースをつくった男」には、人間と人間がぶつかり合って放たれる熱が徹頭徹尾、描かれている。登場する誰もがエンターテイメントに対して誠実であり、真剣である。だから人々の胸を打つ。

 古舘さんは確かにマイク1本、たった1人でステージに立つ。しかし、ブルースを奏でるステージ上には、目に見えない多くの“バンドマン”たちが熱い志を抱いて、喋り手を支えている。舞台上の古舘さんは、決して1人ではない。(編集委員・加藤 弘士)

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