未来の巨人を背負うルーキーたちは18日、G球場での新人合同自主トレで汗を流した。スポーツ報知では支配下&育成入団の新人14選手を連載企画「はGめまして」で紹介。第1回は昨秋の東京六大学リーグで戦後16人目の3冠王に輝き、即戦力として期待を寄せられている萩尾匡也外野手(22)=慶大=。その原点は幼少期に夢中になって打ち込んだバスケットボールにあった。また、慶大の堀井哲也監督(60)が教え子の素顔を明かした。
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萩尾は本当に気持ちがいい男です。練習が厳しくても、前向きに声を出してプレーする。周りも元気にしてしまいます。野球に対するそんな姿勢が、運の強さや大舞台での活躍につながっていると思います。
リーグ戦デビューは忘れられません。彼が2年の20年春季リーグ戦。コロナ禍で8月のお盆休みに変則開催となった明大戦でした。
実はこの日、萩尾はベンチ外だったんです。ところがレギュラー選手が神宮到着後、コンディション不良を訴えて。スタンドで応援予定だった萩尾を急きょ呼び寄せ、スタメンで起用したら、初打席で右翼席にホームランをたたき込んだんです。まだ体は細かったけど、逆方向に持っていくリストワークに目を見張りました。「すごいな。たいしたもんだな」と驚きました。
そこからは小さなけがもあって、レギュラー定着はなりませんでした。外野争いも激しく、彼が3年時、慶大が日本一になった際には「ベンチから外すよ」と伝えました。萩尾は涙を流し「次、頑張ります」とコーチに誓ったと聞きます。
けがでリタイアしている時も、私に「ベンチの隣で勉強させてもらっていいですか」と直訴してきた。采配の意図や守備位置など、必死にメモを取りながら聞いてきました。そんな熱心な姿勢が、4年時の進化につながったと思います。
進路も複数の社会人チームからお誘いを受けましたが「育成でもいい。プロで勝負したい」という決意はぶれませんでした。今後はプロ野球選手として、子どもたちに夢を与える息の長い選手になってほしいです。萩尾ならやれると信じています。(構成・加藤 弘士)
◆堀井 哲也(ほりい・てつや)1962年1月31日、静岡・函南町生まれ。60歳。韮山、慶大では外野手。卒業後は三菱自動車川崎に入社。現役引退後はマネジャー、コーチを務め、93年に三菱自動車岡崎に転籍し、97年に監督就任。05年からJR東日本監督となり11年に都市対抗優勝に導く。19年12月に慶大監督就任。21年には春秋のリーグ戦を連覇し、全日本大学選手権を34年ぶりに制覇。明治神宮大会も準優勝した。